しばらくずっと通らざるをえなくなった未完了な感情エネルギーと向き合う作業。

その中で、自分がいかに不要な観念というフィルターを通してこの世を生きてきたのか、ということを思い知らされる。

 

過去にそこに気づいて学びを重ね、向き合ってきたつもりでも、観念というフィルターを外していく作業は、生易しいもんじゃなかった。

通常、人は数えきれないほどの役に立たない観念というフィルターをつけているからだ。

 

私の場合、一例を挙げると

・私は我慢しなければならない

・私は誰にもわかってもらえない

・私はちゃんとしなければならない

・私は自由ではない

などというフィルターをつけていたので、その通りの現実を生きてきたというわけだ。

 

そして今回の流れの中で気が付いた、ラスボス的なフィルターは

・私は幸せになってはいけない

というものだった。

これは相当強力なものだった。

 

本当は感じていたはずの自然な感情を、様々な理由(環境や親の影響、教育など)で、

それを感じてはいけないと抑圧してしまい、それと共に否定的な観念が形成されてしまう。

 

未完了な感情と観念というフィルター

それはセットなのだ。

 

未完了な感情は、エネルギーとして潜在意識下に埋め込まれる。

そして気づいてもらいたくて、それを感じさせる出来事を起こす。

そしてさらにその否定的な観念が強化されていく、という恐ろしいカラクリ。。

 

過去の私は、インナーチャイルドと向き合い癒していくというやり方で、未完了な感情を解放し、不要な観念を手放してきた。

 

当時それはとても役に立ったし、その過程は本当に必要だったのだと思う。

でも今はそこからまた別の段階に来たようだ。

 

未完了な感情エネルギーを解放していくことは、本当の自分へと意識が目覚めていく中で、必要になってくるプロセスなのだと私は思う。

何故なら、本当の自分に戻ることを妨げているものは、この未完了な感情エネルギーや不要な観念というフィルターだから。

 

そしてそのフィルターは、実は本当の自分が設定して装着していたんだなと。

何故ならそのフィルター越しに見る世界を体験したかったから。

愛、喜び、平安、幸せしかない本当の世界では、決して体験できないことを体験したかったから。

 

自我はそのことを知らないので、必死にもがきながら苦しい体験し続けてきたわけだけど…。

 

 

でもその不要になった観念フィルターは外せるし、意識的に自分が装着したいフィルターに変えることだってできるのだ。

 

ただしその前に大事なことは、

・あらゆる未完了な感情エネルギーを完了させること。

・これまでどういうフィルターを装着していたのか(装着させられていたのか)に気づくこと。

 

そこを通らないまま、本質の自分と自我の統合は難しいんじゃないかな。

 

こういうプロセスを通らないまま目覚める人もいるだろうし、これは人によるのかもしれない。

どうも私の場合は、そんなプロセスを通過させられているようだ。

 

少し前まで、胸の苦しさや悲しみがどんどん上がってきていたけれど、それは収まってきた。

その代わりに、怒りのようなイライラのような感覚が来るようになった。

怒りやイライラって、もうずーっとほとんど感じることがなくなっていたので、ある意味懐かしい…(苦笑)。

 

さて、今後どんな経過を辿っていくのやら。。
わかっていることは、ぜーんぶが必要なプロセスで、ぜーんぶの感情、感覚はそのままあっていいのだっていうこと。