ただ、「意識」があるだけ。

意識が全てを内包し、全てを創り出しているということ。

この意識がなければ、私の世界は存在しようもないということ。

 

その、なんとなくの体感が時々やってくる一方で、まだまだ「頭での理解」のほうが優勢な私。

けれど昨夜、それが深まる体感がやってきた。

 

唯一のリアリティである「今」に現れているものに、五感を使って意識を集中する。

そのとき、それを体験している、認識している「意識」。

 

実はこれしかなくて、その意識の中に全てが現れているだけなんだな、という実感がこれまでより深くやってきた。

言葉では全然上手く言えないのだけれど。

 

私がこれまで体感したのは、津留晃一さん風に言うならば、「大我」の領域。

何かの意図や判断のない、ただ体験している大きな領域、スペース、空間。

 

そにあるのはただ、愛。

でも、それは自我(小我)によってすぐに覆い隠されてしまう…。

 

大我の状態でいることを妨げているのは、やはり自我の抵抗、ブロック、未完了な感情エネルギー、なのだと感じる。

 

それらのエネルギーが度々、「どうしようもなく苦しい感じ」として上がってくる。

でも最近は、それはどこからともなくやってきては去っていく宇宙のエネルギーなのだ、という感じがしている。

思考を挟まずに、「エネルギー」としてそのままを感じ、味わっていると、いつのまにか去っていく、ということもわかってきた。

 

そして、その「大きな意識」が深まるほどに、これまでのあらゆる事が、まるで別次元での出来事だったかのような感覚になる。

古いものが終わっていくような感じで、それはどこか寂しくもあり、切なくもあり。。

 

なんだかとりとめのない内容になってしまったけれど、こうしたことを繰り返し、行ったり来たりしながら、目覚めは進んでいくのかな。