いや。実際そうなのだ。なにも東京の人が特にせっかちなのでも、気が短いのでもない。東京という、あれだけの多くの人数の働く場所で、あれだけの多くの人数が利用する電車で、あれだけ多くの人数が通る改札口で、流れを止める人がいては、すべてがストップしてしまう。
マレーシアでも、KL市内の通勤電車はかなり混んでいる。ドア付近まで人があふれ、密着度も高い。でもみな無理をしない。乗れなかったら、約8分後に来る次の電車を待つ。会社に遅れたら、「電車が混んでいて乗れませんでした」と言う。電車もガヤガヤと賑やかで、友人とおしゃべりしていたり、その場で会った人と話しをしたり。どこかしらで声がしている。
天気予報を見ることがなくなったように、電車の時刻表を見る、という感覚がない。もし時刻表を見るとするならば、「何分間隔にきている電車か」ということで、すぐ来る確率が高いか否かを検討するためだけ。来た電車に乗り、来るまで待つ。
「整列して待ち、降りる人から先に通すこと」。とマナーを促す“写真”が飾ってあるけれど、守る人もいれば守らない人もいる。ひとり守らなければ、みんな後に続く。そして混乱になり、効率は悪くなる。
でも、それでも。社会は成り立っているのである。別に、誰かがちょっと会社に遅れようとも、誰かの電車が1時間立ち往生しようとも、社長が渋滞にはまって会議に遅れようとも、会社が即倒産したり、経済が急激に下降したりはしない訳です。
日本のシステムはとても効率がいい。それは、その効率のなかにうまく組み込まれているときは、すごく快適で、楽。成果も早くでる。
でも、効率の良さを享受できなくなったとき、効率の良さを求める必要がなくなったとき、その仕組みは、きゅーっと手足を締めつける。そして、あがけばあがくほど、締めつけはキツくなる。
運賃はお札で払うのに、お札を入れると詰まってしまうKLバスの運賃箱。運転手さんが、ときどき棒で突いて、お札を運賃箱の底に鎮める。何かに怒ってしゃべりまくって出発しなかったり、お釣りがないので、乗客が別の乗客に交渉して両替しなければならなかったり、そんな効率の悪いバスが、でもなんだか、乗り心地がよくて、ときおりホッとするのは、いったいなぜなんだろう。
わたしだけでしょうか…
