液晶の画面が割れて、壊れてしまっていたデジカメ。
昨日サービスセンターに持参し、修理してきた。
(修理代に10,750円もかかったけど)
窓口のメイン担当の人はひとり。
40歳ぐらいのおじさんで、やさしいぽっちゃり系。
その人は、誰に対してもすまなさそうに、同情的に対応する。
「あらぁ、そうですかぁ。それは大変でしたねぇ」
「たぶん、この部分に不具合があるように思いますので、
大変申し訳ありませんが、すこしお待ちいただけますか」
「ごめんなさいねぇ」
「こちらこそ大変申し訳ありませんでした」
たしかに、ここに来る人たちは
新しいデジカメを買おう!とする前向きな人ではなくて、
壊れたけど、まだ使いたいしぃ…、というウジウジと情に深い人。
もともとブルーな気持ちで訪れているのだから、
「どうしまたか? なるほど。これは、この修理が必要なので、いくらです」
などと事務的な対応をされてしまうと、ますますブルーさはつのり、
くすぶっていた不快感が、メーカー側に向けられることになるだろう。
その点、おじさんの対応は、すごくうまい。
おじさんがとても恐縮して対応してくれると、
こちらまで謙虚な気持ちになってくる。
いえいえ、メーカーが悪いわけではなくて、わたしが悪かったのですよ、
という気持ちが湧いてくる。
修理時間を待っている30分くらいの間に5~6人が訪れたけど、
みんな笑顔で、穏やかに帰っていった。
相手が「すみませんねぇ」と言ってくれると
「いえいえ、こちらこそご丁寧にありがとうございます」と言える。
おじさんは単に仕事をしているだけで、
おじさんが悪いことなんて何にもないのに、
おじさんの真心のこもった対応で、こちらも心が癒される。
実はわたしは、おじさんの対応をすることができない。
自分が悪くないことに、どうしても心をこめて謝ることができない。
いや、心をこめずカタチだけで謝ることもできない。
もしそうやって謝った場合、あとでどーっと疲れてしまう。
以前勤めていた営業職を辞めたのも、この理由があった。
営業の半部以上の仕事は、お客さんに謝ることだ。
直接関わっている、関わっていないに限らず
何かトラブルが起こったら、まず謝る。
謝ってお客さんの怒りを鎮めつつ、原因究明をする。
「怒り」という人の感情をなだめることができるのは、
きちんとした原因説明や今後の保守体制を強化することではなく、
トラブルにかかった費用を全額メーカーが負担することでもなくて、
人が、誠意をこめて、心から謝ること。
相手の心に波にあわせて対応すること。
そういうことなのだ。
正直、いまのフリーという仕事は、わたしにとってすごく楽だ。
だってわたし以外の人の理由で、謝る必要がないもの。
謝るときは、すべて自分が起こしたこと。
だからもちろん心を込めて謝ることができる(当然じゃね!)
でもきっと世の中には、
自分が悪くなくても、謝ったほうがいい出来事がある。
相手とコミュニケーションをすすめる上で
もっと奥にある“大切なこと”を守るために
まず謝ったり、相手に合わせて同情したり、一歩引いたり。
そういうことが大切なことは必ずある。
おじさんの対応を見て思い出した。
わたしの苦手なこと。わたしにとって足りないもの。
おじさんに学べ。
何かあったら、おじさんを思い出そう。