懐かしがってばかり | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。

「君が想うよりも、僕は君が好きぃ~」
ラジオから聞こえてくるチャゲ&飛鳥の歌。
懐かしい、あぁ、懐かしい。

同じように、家の近くの中学校の横を通るといつも
胸がキューッとするくらいの懐かしさを感じる。

ちょっとダサいジャージ姿。真っ黒の髪のおさげ、ぼうず。
部活動中の意味不明なかけ声。ふざけ合う男子生徒。
すこし乱暴な話し方の女子生徒。

わたしも、こんな中学生だったな~と思い出す。

ちょっとダサい紺と赤の2色のジャージを着て、
おさげか、短いときはマッシュルームカットで、
「い○みー(中学校の名前)、ファイ、サ、ファイ、サ、
 ファイト! オー、ファイト!」という意味不明のかけ声で
テニス部の仲間たちと運動場を走り、
女の子同士でも苗字を呼び捨てにしていた。

あの頃、女の子の生き方は4つしかなかった。
かわいらしくキャピキャピでブリッ子になるか、
部活動に命をささげて男並みになるか、
オトボケキャラでコメディアンになるか、
優等生タイプでガリ勉になるか――。
今よりもずっと範囲が狭くて、
それに合わないと仲間から外されて、
不安と隣りあわせで、毎日をハラハラとおくっていたように思う。

でも、そんなスリリングな時代だからこそ、
行動はセンセーショナルで、ストレートだった。

恋に破れて、廊下で泣き崩れている人はいたし、
塾の先生(大学生)に告白されて困っている友人はいたし、
恋人に私を忘れないで、と血(!)の入った瓶を渡している人はいたし、
好きじゃない子だからと、誕生日にもらった筆箱を通学路の用水路に
捨てる男子はいたし、
(おかげで、捨てられた子が気づかないようにこっちはかなり苦労した)、
部室の扉を開けたら男女が裸で抱き合っていたとか。(真偽のほどは不明)

今よりもずっと主観的に生きていて、
この世界で生きていけなかったら死ぬ、くらいの覚悟で毎日を送っていて、
実際、そういう縛られた小さな集団のなかにいた。

危うい刃のように、モロさと美しさを同時にもっていた中学時代。
先日、チラリとテレビドラマの欽八先生を見て
「ちょいと深刻すぎるんじゃないのぉ?」なんて思ったけど、
たしかにそうやって生きていたな、と思い出したのでした。