まりも | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。


「店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」
「熱いのでお気をつけ下さい」
「ただいまスプーンを切らしておりますので
マドラーで失礼します」

同じ言葉が何度も何度もくり返される。
注文する人が「YES・NO」で答えられるような質問。
すべての対応がマニュアル化され、
それが効率をよくし、利益をうむとされている。

マニュアル化された台詞は、
聞かれる人の心地よさも考慮しているので、
こちらとしてもラクチンで、気持ちがいい。
「店内でお召し上がりたいかと思いますが、
 今混んできましたので、席を探すのが難しいかもしれませんけど、
 いかがしますか?」
と聞かれたら、どう答えていいのか分からないし、
「最近の学生さんはカフェで話すことが多いのですね」
と無駄話されても、だから何?と不審に思うだろう。

たぶんわたしは、カフェの受付の人に人間性を求めていない。
「あーイヤだなー」とプライベートで思うことがあっても、
ニコニコ笑顔でいてほしいし、
それが彼らの仕事だと思ってる。

組織のなかで仕事の効率をもとめたら、
きっと人間性なんてもんは、必要ない。
いや、必要なのは、
組織を円滑にするための、作られた人間性。
いつも笑顔で、気持ちよく、お客様にも上司にもウケのいい、
協調性のある、求められたいい人像――。

であれば、ロボットと何の変わりがあろうか。
気が利いて、感じのいいロボットがいれば、代用は可能ではないのか。
経済が発展し、組織化がすすみ、効率をもとめた社会のなかで
わたしはロボットになることを求められ、
そしてわたし自身も、周りがロボットであってほしいと求めている。

……続く。