額に貼り付けられた数字 | アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。


今日3○歳の誕生日を迎えた。
(別にナイショにすることもないが)

「おめでとう」という言葉はとても嬉しいけれど、
歳をとること自体にあまり関心はない。
20代だろうが、30代だろうが、40代だろうが、
心はあまり変わらない気がする。

しかし、自分にとっては関係なくとも
世間にとっては、大きな意味をもたされている。
「20歳を過ぎたらこう、
 30代になったらそう、
 40代だったら、もう、」
なんて普通にいわれる。

名前、性別の次くらいに「年齢」というラベルがあって
それを必ず、額の上ぐらいの、誰もが見える位置に
ペタリと貼り付けられている気がする。
1年経てば、自動的に更新され
そのままでいいよ、と抵抗してもムダ。

わたしは、といえば、
「30代だったらそう、」という言葉を
今のところは、いい意味で活用させてもらっている。
フリーで仕事をするには
若造の“イメージがある”20代よりも
経験の豊富な“感じがする”30代のほうが、やり易い気がする。
奇抜な発想をする20代は「若くて浅はか」だけども
新しい発想をする30代は「豊かなインスピレーション」と
見られるような気がする。

歳を取るにつれ、
高校球児がかっこいい!から、かわいい!に変わり
アイドルの年齢が、友人の子供の歳の世代に近くなり
口元や目じりのシワが気になり
モアやアンアンよりも、プレシャスやマリクレールになり
それが寂しいなぁと思う反面、
生きること自体は、楽になっている気がする。

なにしろ、絶対的な権力をもつ人がいなくなった。
義務教育中の先生のような存在の人はいないし、
親や政府に服従している気もしない。
役所に行っても、年下の人が多くて、怖くない。
ときおり口うるさいおじちゃんがいても、
「ムカツクね」といえる権利を得た。
なんてたって、税金払って、国を支えている一員やもんね。

「子供って、なんて生きにくい存在なんだろう」
と、自分が大人になり、生きるのが楽になって思う。

スーパーのおばちゃんも、駄菓子屋のおじちゃんも、
友達のお母さんも、近所の人もみーんな、年上の人ばかりで
さも「わたしが教えてあげる」と言わんばかりの
態度で接してくる。
そりゃもちろん、人生の先輩だし(現世においては)
いいことを教えてもらったことも、たくさんあるけれど
教えて当然、子供は弱いもの、という隠れた傲慢さに
いつもビクビクしていた気がする。
大人から見捨てられたら生きていけない、
そういう怖さを無意識に自覚していたような気がする。

といって、わたしは大人の顔色をうかがう子供ではなかったし
のびのびとワガママ放題で育っていたんだけどねぇ……。
歳を取るにつれ、さらに自由になっていくのを感じると
ついつい昔と比較してしまうんだよねぇ……。

大人は子供に
「若くてうらやましい。まだ人生これからじゃないか」
などというけれど
子供はそんなに若さを嬉しく思ってない。
「人生長いから、一度くらい失敗してもいいや」
なんて思えるのは、若い頃じゃなくて、
ある程度の人生経験を積んでからのような気がする。
社会に出て、自分で稼ぐということを経験してみて
そこから生きるということをやっと自覚するような気がする。

若さと夢。年齢と現実。
というよりも、
若さと現実。年齢と夢のほうが、私的にはしっくりする。
なんだか、かなり矛盾があるなぁ。

うーん……、考えがまとまらず、すんまそん。