幼い頃、はじめて「まりも」を見たとき。
水のなかに浮かんでいる緑の物体。なんじゃこりゃ?と思った。
母が教えてくれた。
「生きているのよ。つまり動物ってことね」
それを聞いたとたん、すごく怖くなった。
今まで見たことのない物体。
それが生きているなんて……!
植物が成長するのは怖くないのに、
透明な水のなかで大きくなる「まりも」は怖かった。
手でツンと触ると、パクリ!と噛み付かれそうな
そんな感じがして、見るたびにドキドキしていた。
葉も木も根っこも土ない。
水にフワフワ浮いているだけの緑の球体。
これが植物なんだって?
透明な水のなかで、餌をあげなくても、
生きていて、成長するんだって?
どうしても理解できなかった。
不思議だった。イメージに合わなかった。
その気持ちが高じて、今度は気味が悪くなった。
理解できないものには近づかない。
もしかしたら、ものすごく危険かもしれないもの。
たかが「まりも」、されど「まりも」。
今なら笑えるけど、そういう防御本能が働いていたように思う。
ロボットに囲まれた現代で、快適に暮らしているわたしだけど、
ときおりロボットに無性に反抗したくなるときがある。
とつぜんロボット社会に恐怖と違和感を感じることがある。
そんなことを思っていると今度は、
世のなかの時間軸に、わたしだけがズレているような気がしてくる。
ひとりだけ違う時間軸で生きている気がしてくる。
みんなの教科書には「あ」の次は「い」なのに、
わたしの教科書だけ「あ」の次は「びゅ」と書いてある気がする。
そしてずんずんと不安になる。
人間関係においてもそうで、
昔に比べてふところが狭くなったのか、疑い深くなったのか、
大人になったことなのか、理由はよく分からないけれども
ときおり、周りの人と時間軸がズレて生きているような気がする。
なんだろうなぁこの感覚。
うまくいえないのだけれども、
たとえてみれば、自分が「まりも」になったような感覚。
「こいつ、何者? 見た目と中身が違ってない?」
みたいに思われているだろうな、と自分が勝手に感じているような感覚。
なんとなく思うのは、
きっと今のわたしは周りの人にとっての
「まりも」のような気がする。
なんだかそんな気がする。
まりも……終わり。