月曜日から、すっかり落ち込んでしまっている。
私は、手話が下手だった……。
そんなことは知っていた。
「私はうまいんだぞ!ほかの人よりできるんだぞ!」
なんて自慢したことはなかったし
「まだまだだわ。おほほ」
と落ち込んだりもしてた。
でも、月曜日の“気づき”は、
もうそれは、宇宙からの強烈な“ダメだし”のように
ドーンと舞い降りてきて、頭にガツンとぶつかった。
その瞬間、火花が散ったくらいに痛くって
涙がすこし出た。
考えてみれば、私の手話歴は9年。
最初の2年は、職場に聞こえない友人がいて
よく話していた。
覚えたての手話は、すごくおもしろくて
どんどん吸収していったと思う。
でもその後、部署が変わって、友人と話す機会は減った。
おのずと手話と接する機会もなくなった。
仕事を辞めてから地域の手話講習会に通った。
でも、次の仕事が決まったので、すぐに通えなくなった。
そうして今、フリーになって、やっと本格的に始めた。
“手話ソング”や“手話劇”のことを、アレコレ語っては
いるものの、初めて見に行ったのは、1年ちょっと前の
「日本ろう者劇団 ~お初~」。
まさにそれが、“お初”だった。
それに私は、フリーライターになってから、2年弱。
ということは、本格的に手話を始めてから、まだ2年弱!
手話歴はじめの2年を加えても、まだ4年弱じゃん!
その間、サークルも通ってなければ
たくさんの聞こえない友人がいたわけでもなく
うまいはずがないじゃんよー!! ガーン……。
私は、そんな冷静な分析もできぬまま、
“まぁまぁ話せるよね”、“まぁまぁうまいほうだよね”
と思っていた。
そんな自分の思い上がり、うぬぼれ、に愕然とした。
講習会の仲間がどんどん上達しているのに
それを黙ってみているだけの自分に気づいてなかった。
もうひとつ。
私は手話にたいして、謙虚じゃなかった。
聞こえない人の言葉を、分かりもしないのに、
無理やり使いこなそうとしてた。
学んだイディオム(慣用句)があれば
すぐに使おうとしてた。
言語なのに。大切な言葉なのに。
勉強をすれば話せると思ってた。
よく「手話は、聞こえない人との会話のなかで学べ」
といわれるのだけど、それに心のなかでは反抗してた。
“そんなんラチがあかないよ。もっと教えてくれ”と。
違う。絶対に違う。
会話のなかでこそ、言葉が生きるのに。
手話は、聞こえない人の生きた言葉なのに。
私はなにも、手話を学んでテストに受かりたいわけじゃない。
いい成績を取りたいわけじゃない。
聞こえない人と話したいんだ。手話という言葉で。
「手話って、地域、年代によって違うから、
テキストに載っている手話だけじゃないよね」
「そうそう。この前さー、自分が習った手話と
違ったみたいで、聞こえる人が、聞こえない人に
“それは手話が違います”
って言っちゃったんだよねー」
「まじで、そんなこと、ありえない!」
なんて笑い話をしていた。
私も、ありえなーい!と思ってた。
でも、もしかしたら、もしかしたら
私も、思ったときがあったかもしれない。
「私が習った手話と違うな」って。
なんて傲慢だったんだろう。
なんておこがましいんだろう。
そういう自分に、ほとほと嫌気がさした。
「気づいたから、ヨシとしよう。
これから頑張ればいい」
そんな前向きな発言は、止めだ。
そんな逃げでは、本質はなにも変わらない。
それに、私はすごく不安だ。
気づいたのは、気づいたけど
本当に気づいているのか。
本当に忘れずに、心に持ち続けられるのか。
実感できて、実行できるのか。
また、思い上がって、落ち込んで、
その繰り返しじゃないのか。
私は一生、傲慢な人間じゃないか。
不安でたまらない。
なんてことを書いている自分も、
自分を弁護しているみたいで
反省が足りない気がしている。