「~までもなく」、という文は頭が悪い | フラットな世界を目指して

「~までもなく」、という文は頭が悪い

「~までもなく・・・」という文を見かけることはないだろうか?
例えば、「ヒトラーの例を挙げるまでもなく・・・だ。」のような文だ。

この文は、何が言いたいのか分からない。
例を挙げたいのか?例を挙げたくないのか?


例を挙げたいのならば、
文献を示し、
「・・・だ。これには、例えば、ヒトラーの例がある[1]。」
と書けば良い。

一般常識だと判断すれば、単に
「・・・だ。例えば、ヒトラーがそうだ。」
と書けば良いだけだ。

少し説明を加えたい場合は、
「・・・だ。例えば、ヒトラーの例がある。ヒトラーは・・・だった。」
と、1~3文程度で、簡単に説明すれば良い。

例を挙げたくないのならば、そもそも
「~の例を挙げるまでもなく・・・」という文を書かなければ良いのだ。


似たような文は、他にも、
「~を見るまでもなく・・・だ。」
「言うまでもなく・・・だ。」
がある。
見るまでもないなら、見なければ良いのだ。
言うまでもないなら、言わなければ良いのだ。

この「~までもなく・・・」文を多用している作家や学者がたくさんいる。
例えば、三橋貴明がそうだ。
彼のブログに行き、"までもなく"でブログ内検索をしてみると分かる。<三橋貴明のブログ
「言うまでもなく」、「見るまでもなく」、「例を挙げるまでもなく」といった文が、大量に発見できる。
異常なくらい、「~までもなく」文を使用している。


こうした文を書くことは、文章の"情報の密度"を低下させる。
そして、「この人は、他に書くべきことが無いほど、薄っぺらいのか?」と連想させる。

こんな頭の悪い文を書くなら、最初からストレートに書くべきだと思う。
この人達は、書こうと思えば書けるだけの知識を持っているはずだから。


皆さ~~ん、「~までもなく・・・だ。」という人がいたら、聞いてあげてください。
「~したいの? ~したくないの? どっち?」と。