原爆の閃光に焼かれた広電車両 あれから79年、今も現役で街を走る






 原爆投下から、まもなく79年となる広島市。同市内を走る広島電鉄には、当時被爆した車両4両が、今も残っている。

【動画】広島電鉄の「被爆電車」650形651号の細部を、車両課の中村洋・千田検車係長が解説


 そのうちの1両が、650形651号で、1942年に木南車両製造(廃業)で作られた。


 1945年8月6日。651号は爆心地から約700メートルの、中電前電停付近を走行中に被爆。車両は脱線し、ドアや屋根の集電装置が吹き飛ばされ半焼した。

 しかし翌46年3月までには原形に近い形で営業運転に復帰し、今も広島の街を走り続けている。

 普段、千田車庫(広島市中区)に停泊していて、不定期で朝のラッシュ時などに営業運転している。

 車体はワンマン化や方向幕の電動大型化、冷房装置が取り付けられるなど改修されている。



■被爆した部分は・・・

 一方、台車は製造当時最新式だった車体と独立して回転できる機構を採用したボギー台車で、多くの部分は当時のままだ。


 また鋼鉄製の車体や車体を留めるびょうも当時のものと思われ、所々が赤茶色にさびている。


 同社によると、被爆による傷痕は確認できないが、台車や車体、びょうを交換した記録はなく、戦後に作られた部品とは異なるという。



 82年に同社に入社した車両課の中村洋・千田検車係長(60)は

「651号はアナログなので、最新型と比べて故障箇所がわかりやすい。ただし、部品を交換してから、人の感覚や経験で調整しないといけないので大変だ」

と話す。



 同社では今後も人々の足としてはもちろん、被爆や戦後復興、未来の平和について考えてもらうきっかけになる車両として運行を続けていきたいという。



(筋野健太)