地盤が隆起したままの輪島の港 「復元は現実的でない」




海底部分の地盤が隆起した鹿磯港。地元は隆起部分を活用して水揚げが可能になるように、と石川県漁協などに要望している=2024年5月30日午前9時55分、同県輪島市、松田史朗撮影




 6月5日昼、石川県の輪島港。「来たぞ―」。6隻の漁船がなだれ込むように港内に入ってきた。だが、積まれていたのは魚ではない。切れた網や金属のがれきなどが詰まった大量のごみ袋だ。重機が船から引き上げ、港の数カ所に集められた。


 ごみの分別にあたるのは、輪島港を拠点とする海女や漁師100人以上。輪島は県内でも有数の漁業が盛んな町だ。普段は50キロほど北にある離島の周りなどで海女はアワビ、サザエ、漁師はブリやアジなどを取ってきた。


 だが、元日の地震と津波で、損壊した住宅の家財や仕掛けた網などが海に流出。漁の再開のため、動かせる漁船で海に出て、散乱したごみの回収作業にあたる。作業には支援の意味もあり、国から日当が出る。ベテラン漁師の早瀬賢生さん(70)は「早く漁に出て普通の生活に戻りたい」と話す。



 1月の地震では日本海に面した外浦で土地の隆起が、富山湾に面した内浦で津波が発生。石川県内の72の港湾・漁港が損傷し、265そう以上が座礁するなどの被害が出た。海岸線の土地が隆起した輪島市や珠洲市などでは、多くの漁船がいまも漁に出られない。県外に避難する漁師もいる。


 「漁ができないままだと、漁師が能登を離れかねない」。県は懸念を抱くが、復旧に向けた道のりはまだ遠い。



 海洋工学などの専門家らでつくる検討会を水産庁が立ち上げたのは5月。7月にも各港の被災状況に合わせた複数の復旧案を提示する見込みだ。地域の漁業者らの意見を聞き、どの案にするか最終的に選ぶのは、各港を管理する県や市町となる。本格的な災害復旧は、仮復旧の後、5~10年かけて行うとしている。


 課題となるのは、損傷した施設などを元に戻す原形復旧の原則と、漁業を取り巻く現状だ。


 実際、「長年漁をしてきた港は元に戻してもらいたい」(外浦で定置網を行う企業)との声がある一方で、「隆起し、水がなくなった港の復元は費用も時間もかかり、現実的ではない」(県西部の漁協支所担当者)との指摘がある。被害状況も異なり、県漁業協同組合幹部も「必ずしも元の姿に戻す方向になるかはわからない」と語る。


 水産庁の検討会でも、隆起した港内を浚渫(しゅんせつ)し、漁船が走行可能な水深を確保する、陸地化した地盤の上に船を揚げる案なども議論されている。



能登半島6市町の漁業就業者数の推移



 漁師の減少や高齢化も、港の復旧議論に少なからず影響しそうだ。農林水産省の統計によると、輪島や珠洲など6市町の漁業就業者数は2008年の約3500人から18年には約2千人と4割減った。就業者が506人(18年)と最も多い輪島では40代以上の割合が7割を占め、30歳未満は1割以下だ。


 県漁協輪島支所によると、輪島港でも約400人いる専業の漁師のうち、半数以上は40~60代で、「年金をもらいながら暮らす高齢の漁師が大半で、若手はいないに等しい」(外浦にある漁協支所の担当者)ところもある。



石川県の漁獲量の推移



 加えて、乱獲や温暖化などの影響で日本の海面漁業の漁獲量は22年に約295万トンと、1984年のピーク時の約3割にまで落ち込んでいる。石川県内の漁獲量(養殖、内水面を除く)は2022年に約4万8千トンと、これもピークの1990年の2割にまで減った。能登の漁業者からも「港の集約化は避けられない」との意見がある。


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記事後半「若手にはチャンス」と語る30歳の漁師のインタビュー


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