元なでしこジャパン鮫島彩が引退会見「やりきった」引退は「今週」決断 気になる今後は「学業が…」





 サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」で長く活躍し、今季限りで現役を引退するDF鮫島彩(36=大宮)が25日、今季最終戦を終え、NACK5スタジアム大宮で引退会見に臨んだ。


 会見冒頭では「先日発表させていただいた通り、今シーズンで引退する決断をいたしました」と語った。

 そして、「ここ数年は長年、頭のどこかに(引退の考え)はあって、(引退を決断した時期は)いつかと言われたら、今週。自分の中でしっかりとやりきったなっていう気持ちになれた。このメンバーに囲まれて引退したい思いがあったので、こういった決断に至りました」と続けた。涙はなく、すがすがしい表情で語った。


 セカンドキャリアについては
「明確なビジョンは今の時点ではないけど、いろんなことにチャレンジしていきたい。2022年から大学院に通ってるので、まずは学業が残ってるので、論文を書いたり全うしたい」と話した。大学院ではWEリーグの観衆について研究しているといい、「裏方や集客に関することに昔から興味があるので、そういうことに触れていけたらいいなと思う」とうなずいた。


  長くなでしこジャパンで活躍。「(11年W杯で)優勝して、なでしこブームがきて、(16年)リオ五輪(予選で)敗退して認知度や人気が下がってしまったと思ってて、代表の責任って凄く大きいと感じてきたけど、今のなでしこの選手たちは世界で結果を残せる選手たちがそろってる。五輪は普段はサッカーに興味をもってない方も見る大会。なでしこらしく、粘り強く戦って結果を残してほしい」と後輩にエールを送った。


 報道陣から「自分を褒めてあげるとしたら」と問われると、「たぶん、自分を褒めることが得意ではない。得意な方がいいと思うけど、ぱっとは思いつかない。それも自分らしくていいかなと思う。巡り合わせが良かったと思うことがたくさんあるので、自分を褒めるというより、今まで出会った方たちに感謝を伝えたい方が大きい」と周囲への感謝を口にした。


  栃木県出身で宮城・常盤木学園高を経て、東京電力時代は福島県双葉町で寮生活、原発で働いた。11年3月11日の東日本大震災によるチームの活動休止を受け、葛藤を抱きながら米国に新天地を求めたこともあった。


 元々はアタッカーだったが、当時のなでしこジャパンの佐々木則夫監督のコンバートで開花した。左サイドバックを主戦場に11年W杯ドイツ大会で優勝に貢献。仙台(現マイナビ仙台)やINAC神戸などでも活躍した。



  ◇鮫島 彩(さめしま・あや)1987年(昭62)6月16日生まれ、栃木県出身の36歳。小学1年時にサッカーを始め、宮城・常盤木学園から東京電力に加入。フランス1部モンペリエ、仙台、INAC神戸などを経て、21年から大宮でプレー。不動の左サイドバックとしてW杯は11年ドイツ大会優勝、15年カナダ大会準優勝、五輪は12年ロンドン大会銀メダルに貢献した。日本代表通算114試合5得点。1メートル63、54キロ。利き足は右。


鮫島彩

鮫島彩






電撃引退の鮫島彩、「辞める辞める詐欺とも言われてきましたが(笑)」と”らしい”ラストスピーチで笑顔




引退を発表した鮫島彩


古巣INAC戦が現役ラストゲーム

 女子プロサッカー「WEリーグ」の大宮アルディージャVENTUS(大宮V)に所属する元なでしこジャパン(日本女子代表)DF鮫島彩は5月25日、WEリーグ第22節INAC神戸レオネッサ戦(0-2)で現役ラストゲームを迎えた。




 36歳の鮫島は常盤木学園高を卒業後、TEPCOマリーゼに加入し、2011年からはアメリカ(ボストンブレイカーズ)やフランス(モンペリエSC)でのプレーも経験した。なでしこジャパンでは主にサイドバックとして活躍。2011年女子ワールドカップ(W杯)では初優勝に貢献した。


 2012年以降はベガルタ仙台レディース、INAC神戸レオネッサと国内クラブを渡り歩き、21年1月からは大宮Vに在籍。WEリーグ初年度のシーズンで17試合、2年目では20試合、そして今季は21試合に出場していたなか、5月23日に現役生活に幕を下ろすことが伝えられた。


 鮫島は5月25日、2015~20年に在籍した古巣INAC戦にフル出場。試合後の引退セレモニーでは、「ここ数年は1シーズン、1シーズン、今年をやり切ろうと思って戦ってきました。なので、ちまたでは辞める辞める詐欺とも言われてきましたが(笑)、今年は自分の中でしっかりとやりきったと思ったので今日この場に立たせてもらっています」と充実感を覗かせた。




 スピーチの内容は以下のとおり。


「小さい頃にチームのために戦うことの大切さを教えてくれた恩師に出会いました。ノリさん(佐々木則夫氏)率いるなでしこジャパンでは、自分以外の誰かのために戦うことが何よりも楽しいことを、充実した気持ちになれることを教えてくれる仲間にも出会いました。


 プロになってからはもちろん自分自身で結果や数字を求め続けることを最も重要視してきましたが、やっぱり根源には何よりも誰と一緒に戦うかが大切で、今うしろに並んでいるこのチームメイトたちに囲まれて、現役最後の時を迎えられることを本当に幸せに思っています。


 泣き虫もいるし、怒りん坊もいるし、いつも冗談ばかり言ってふざけてるメンバーもいて、すごく濃いメンバー(笑)。人の思いを大切にできるすごく大好きなメンバーです。しかも、最終戦、6年間お世話になったINACとの対戦で、元チームメイト、そしてサポーターのみなさん、私の大好きな大宮のみなさんに囲まれて最後の試合ができたのは本当に幸せだなと思います。


 今サッカーをしている小さいお子さんたち、ファン・サポーターのみなさんに囲まれて、自分の大好きな人たちに応援に来てもらってこのピッチで試合をするのは本当に最高です。サッカーは11人でするスポーツで、11人同じタイプがいても成り立たない、11人違うタイプの選手がいるから成り立つスポーツだと思っています。自分の得意なプレー。好きなプレーをどんどん練習して、そこを伸ばしていってほしいなと思います。あと、チームメイトのいいところを見つけて、認めて、仲間と一緒にサッカーを楽しくやっていってほしい。


 唐突な引退宣言でしたが、今日、急遽、地元の恩師や後輩、常盤木(学園高)の先生方、ベガルタ(仙台レディース)やマリーゼ、ボストン(・ブレイカーズ)ファミリー、リハビリ期に出会った他競技のアスリートたち、まさか来ていると思っていなかった仲間、長年サポートし続けてくれた家族のみんなが駆け付けてくれました。自分が理想とする引退の形を実現できて、感謝の気持ちでいっぱいです。


 ファン・サポーターのみなさん、私にとってかけがえのない存在でした。みなさんと練習後や試合後に長話するのが大好きでした。私の原動力になって下さり、ありがとうございました。現役は引退しますが、これからはビールを片手にスタンドでWEリーグを観戦していると思うので、これから一緒にWEリーグを盛り上げていきましょう。本当にありがとうございました」