追い詰められた時にしてはいけないことがある。

 

なんで自分が?

なんとかしなくてはと思えば思うほど自己保身に走る傾向が強くなる。

 

自分の財産やプライドを守るための言動や行動に終始し始める。

 

それは経営者として絶対にしてはいけない。

 

誰かのせいにする。

誰のせいでもない。

全部自分が蒔いた種なんだ。

全て自分の責任である。

 

保身のために嘘を付く。

ひとつ嘘を付けばその嘘を正当化するためにまた嘘を付く。

嘘を付き続けなくてはならなくなるんだ。

本当の自分の姿がわからなくなる。

 

逃げたくなる。

全てをなかったことにしたい。

逃げても何も変わらない。

より状況が悪くなる一方だ。

逃げた先に答えは一切ない。

 

人のせいにしない。

嘘を付かない。

逃げない。

 

オレが最大に追い詰められていた時はまさしく

「嘘をついてまで誰かのせいにして逃げ出したい」

と何度も何度も思った。

 

でもそうした後の自分の姿が良い方向に行くことが全く想像出来なかった。

その行動には答えがないことをその時に自覚した。

 

苦しみながら模索を続けていた頃に何かを探して本を読み漁っていた時

一つのキーワードが自分の中に灯る。

 

「潔さ」

 

戦国時代の武士は自らの大義のために命を差し出すことを厭わなかった。

 

「自死」は絶対にしてはいけないと書いたけど、少し前の時代に日本の歴史に中に確かにあった「切腹」

 

どんな心持ちで「切腹」を受け入れるのかを知りたくて歴史本を読んだ。

 

もちろんそれぞれの状況は多種多様

理不尽な場合も数多かった。

 

そこには「保身」とは対極の「潔さ」を感じずにいられなかった。

自分の大事なものを守るために命までも差し出す「潔さ」

 

ピンチの時は感情の起伏が激しくなり時に真っ当な判断が出来なくなる。

 

「潔さ」は追い詰められた感情の起伏を抑えて自分の本当の意志を確認するための入り口であると考える。

 

自分の欲に走らない「無私」

あるがままの「無為」

 

オレは自分の本当に大切なものを守るためなら欲や保身に走ることなく自らの命を擲つ覚悟の「潔さ」を身に付けたい。

 

そしてピンチを真正面から受け止めて正直に誠実に自ら乗り越えるしか方法はないと思う。

 

逃げ出す道に答えはない。