甍の波と。 | ポッケの中のタカラモノ

ポッケの中のタカラモノ

集中力と持続力のない私。
大事なものほど簡単に失くしてしまいます。
好きなものに夢中になれる元気が欲しいから、
まずは自分の心の中をかたづけよう(´▽`)。


去年の秋に
独猿暮らしを始めた我が家のサル子さん猿

初めの頃は知らず知らずのうちに過干渉氣味だったらしい私も、少しずつ距離感を掴みかけてきたかな。

「あの子ったら猿本当は助けてほしいのに遠慮して言えないんじゃないかしら」という独りよがりの思いつきから発動する押し付けお節介は減らせてきているはず……………おそらく。きっと。

とは言え、年度変わりで何かと苦労が増える職種のサル子さんだからせめてそんな時くらいはちょっとくらいなら何か押し付けたりしてもいいかもひらめきひらめき電球

なんて、、、
あれこれ思いついた中のひとつ。

あの子猿アイロン持ってなかったはずよ?

うちのも買い替えてサルちゃんのも
いっしょに買ってみようかしらもぐもぐピンク音符


我が家のアイロンもアイロン台も大昔に近所の電器屋さんの店先に出ていた一番安いもの。
アイロン台はシミだか焦げだか汚れだらけ。
正直、ここ数年はろくに使ってもないけれど
買い替えたいなと急に思った。

ずぼらな私が言うと嘘っぽいけど
本当はアイロン掛けは好き。

多分、小さかった昔に母が上手にアイロンをかける様子がちょっと魔法っぽくて好きだったから。

母が内職で使っていたミシンもアイロンも業務用だったのではないのかな…
埃の混じったミシン油の匂いも重たいアイロンも
懐かしいから好きなのではなく
あの当時からなぜだかとても好きだった。

だけど、私は本当に横着でずぼらなので
日常の中で「アイロンを掛けずに済む衣服」が
もしかしたらかなりの優位。

だから、服は安直。アイロンは安物。
実に雑な暮らしをしてきたものよねー

だからと言って今回買う予定のアイロンも
多分一番安いものなの。
アイロン台だけは「一番安く」はないけどね。

さっきお風呂で湯船に浸かりながら
「古いアイロン台は粗大ゴミになるのかな」
などとぼんやり考えていて

ふと、母のミシンやアイロンに毎日触れていた自分の幼い頃のごみ事情を思い出した。
あの頃は、団地の中に何ヶ所か焼却炉があって
それぞれ皆んな自分の家庭のごみを燃やしていた。

プラスチックが燃えると黒い煙が出ることや、焼却炉の灰がたくさん積もったところに唾を吐くと唾が丸くなってころころ転がっていくことを父や兄から教わって、よく焼却炉のそばで遊んでいたな…ニコ

ダメだよって言われているのに好奇心で拾ってきたプラスチックの欠片を放り込んで叱られてみたり、
ころころ転がる唾の球体が見たくて何度も何度も唾を吐き飛ばしてみたり…

不衛生とか公害とか、問題は
いろいろあったのだろうけれど
大らかだったなぁうーん と思う。

当時、大きく育たないペットうさぎが…
「流行った」と言っていいのか、、、
テレビで見たように思うけれど。
今ならミニウサギというのかな真顔
あの頃はなんて呼んだかしら。
テーブルうさぎと言ってたかしら。

祖母が突然買ってきてくれて
珍しがって皆んなで可愛がったけれど
すぐに死んでしまい…
私は知らなかったけどあとになって
母が焼却炉で焼いたと聞いた。

いいことでは無いと思うけど
今思ってみても
「母も昔の人だったんだもんな」と思う。


時代は移り変わる。
時が流れるから。

今を生きる中で
今の感覚で昔について善し悪しを断じたりしたら
なにしろ味氣なくて
つまらない世界になっちゃうしね。


今私の住んでいるあたりは
昭和の頃は工場だらけだった。
それより昔は沼だったらしい。

この30年余りのうちに
工場もどんどん姿を消して
マンションや戸建ての家がすごく増えた。

地主さんのお屋敷も代替わりなのか
次々とマンションや駐車場になって
今風の建物に変わったりしている。

今の家からほんの数分のところに少し大きめの公園があって、その脇に道幅の広い通りがある。
ららちゃんが息絶えてしまった数日後には
そこに火葬車に来てもらってお骨にしてもらった。

仕事の行き帰りによくその道を通るのだけど
何年めからか…氣がつくと
泣かずに通れるようになっていた。

公園の手前には、
買い取りの長屋らしき古いお家が建っている。
縦割りの二階屋の屋根には瓦が乗っていて
地震が来るたび少し心配にもなる
そのうちの一軒にひとりのお婆さんが住んでいる。
もしかすると認知症なのかな?と思うのは
いつも誰かを待つように探すように
家の前に建っているから。

いつも風に吹かれたようになった髪が、
昔、なりふり構わぬ姿で働いていた頃の母に似てみえるからつい目が行ってしまう。そうすると、お婆さんも私の方を見るから挨拶をすると
「おはよう〜」とか「おかえり〜」と言って
なぜか懐かしそうに手を振ってくれる。

母と絶縁してしまったころから
そのお婆さんと手を振りあうと
嬉しいような悲しいような
元氣が出るような泣きたくなるような
とても不思議な氣持ちになる。


あと何年、この町並みは残っていてくれるかな

過ぎた昔はいったいどこへ行くんだろうか。


ゴリ子さんとサル子さんが
いつか今の私くらいの歳になった時
何が残っていて
何が無くなっているのかな。


今日、夕方に寄ったスーパーの休憩所で
コロッケを頬張っているお婆さんがいた。
販売機で買った紙コップの飲み物と
お惣菜売り場の2つ入りのコロッケ。

別のスーパーの中にあるマクドナルドではいつも高齢の人たちが集まりそれぞれポテトのSを買って持参の飲み物を飲みながら憩いの場にしている。

今日のお婆さんはひとりでコロッケを無心に食べていて、きっとお腹が空いていたんだねぇと思い…

「私もお婆さんになったら同じことしてそう」
と言ったら、ゴリ子さんが「かわいいね、迎えに行ってあげるね」と大笑いしながら言ってくれた。

もしも本当にそうなるとしたなら
なんだか幸せなおばあさんになれそうね。

ありがたいなと思いながら

私も
母を
迎えに行ってみたくなった。