昭和20年8月6日、広島に原爆が投下されました。

今日は、東京目黒、五百羅漢寺で毎年8月6日、広島原爆投下の日に行われている

移動演劇桜隊平和祈念会

主催の

「移動演劇桜隊 原爆殉難者追悼会」

に昨年同様行ってきました。




「桜隊」は劇団「苦楽座」を前身に、戦争末期の昭和20年に結成。

上演の機会を求め、内閣情報局主導の「日本移動演劇連盟」の一員として、全国各地の病院や軍事施設を慰問していました。

中国地方での活動のために入った広島市の宿舎で、団員9人は8月6日を迎えました。


米軍が原子爆弾を投下した地点から、宿舎はわずか750メートルの距離にあったそうです。

5人が即死。残る4人も被爆の影響で、8月のうちに亡くなりました。


昨年は、その中の一人、タカラジェンヌであった園井恵子さんを取り上げた企画でしたが、

今年は、大映の映画女優であった森下彰子さんに焦点を当てた企画でした。


彰子さんは俳優の川村禾門さんと付き合っていましたが、川村に招集令状が来ると「結婚しましょう」と。


そして昭和19年7月3日に結婚式。

川村はその2日後に朝鮮に出征しました。

二人は毎月3日には手紙を書く約束をします。同時に、空に浮かぶ同じ月を見るのことも。

彰子さんは筆まめで、川村の元には度々手紙が届きました。


そんな折、広島に疎開と地方巡演が決まっていた桜隊が彰子に声をかけました。


昭和2010月、川村が朝鮮から彰子の安否を問う葉書に返事はなく、川村には彰子からの45通の「手紙」だけが残されました。


今日の第一部は、その手紙の朗読劇。

出演は、彰子役にフリー女優の谷芙柚さん、川村役に劇団青年座の君澤透さん、お話しの語りは常盤貴子さん。

あの時代、結婚生活2日だけ。そのあとの愛情溢れた、そして再び二人の生活が始まることを信じていた手紙の内容。心に響く朗読劇でした。


朗読劇の後のトークでは、桜隊のことを初めて知ったお二人の俳優さんが、この役になりきるためにいかに勉強し努力をされたかを話されました。谷芙柚さんは広島の現場まで行ったそうです。


4年前からこの企画に関わっている常盤貴子さんは、特に演劇、芸術に関わる者として、このような時代があったことを若い世代に伝えることを続けたいと語られました。


コロナ禍の時、演劇、演奏会、その他劇場に関わるおとかの活動が全て止まったことを実体験としてみなさん知っている。

でも、戦争になれば、そんなものではすまない。

それでもかつて、演劇に情熱を燃やし、ひたすら活動を続けた人達がいたのです。


第二部は、築地小劇場(実は今年が誕生100周年です)を経て、桜隊に事務長として参加していた槇村浩吉さんと桜隊のお話し。

原爆投下時は、応召や帰省で足りなくなった男優を補充するために帰京中だったため、命拾いしたそうです。

原爆投下後広島に入り、被爆死したご自分の妻を初め5人の遺骨を拾い、他の団員も看取ったそうです。

戦後は劇団制作座を創立して、91歳まで俳優として活躍されました。

今日はその教え子である新制作座のお二人の俳優さんが、槇村さんのことをたくさんお話ししてくださいました。

僕にとっては初めて知ったことばかりでした。


歴史を語り継ぐことの大切さと、彼らの無念を忘れてはいけない、と改めて強く思った、今年の8月6日でした。