今日土曜日は、10年振りの小学校のクラス会でした。

幹事は僕。

まず10年前のメーリングリストのバージョンアップから始めて、結構大変な作業でした。


小学校卒業は、昭和33年。66年前ですね。


卒業時のクラス人数は、47人。

そのうちすでに13人が亡くなっていて、存命者は34人。

そのうち最終的に連絡が取れたのが30人。


今日のクラス会出席者が13人。(在米50年のボストンから参加してくれた女性も含めて。)

欠席者17人のうち地方在住が4人、体調不良のためが5人、すでに他の予定ありが8人でした。


場所は恵比寿アトレ西館内の小籠包で有名なお店。

時間はランチタイム。




集まった13人はそれぞれ持病は持っているかもしれないけれど、とにかくひとりでこの会場に来れるくらい元気な日常生活を送っている。

参加者ひとりひとりの近況を話してもらって、久しぶりの集まりを楽しみました。


その中の男性の話。

ビックリ‼️

なんと、今年正月に羽田空港で起きたJALの全焼事故。

乗客乗員は全員無事でしたが、一家でその飛行機に乗っていたとか!

その時の話をリアルに話してくれました。

ただ結論を言うと、乗客はテレビを見ていた我々が想像するより落ち着いていて(CAさんたちの誘導が的確であったからですが)、あとからニュースなどを見て、逆にビックリしたとか。

でも、しばらくは飛行機には乗りたくない、と言っていました。



亡くなられた同級生は、ほとんど病気のための逝去でしたが、一人だけ高校3年次に大きな列車事故の犠牲になった女性がいます。


その列車事故は、鶴見事故。

悲惨な事故でした。

念のために書きますと、この事故は、1963年11月9日夜に、横浜市鶴見区で発生した、列車脱線多重衝突事故のこと。

(以下ウェキペディアより)東海道本線鶴見駅と新子安駅間で、下り貨物線を走行していた貨物列車の最後部から3両目の貨車が脱線し、架線柱に激突したあと編成から切り離され、後部2両の貨車と共に上り旅客線側へ横転した。平行する下り旅客線を走行していた旅客列車が事故を現認し、非常制動を掛けて急減速した。その直後に上り旅客線を走行する旅客列車が横転した貨車に衝突し脱線、弾みで減速中の下り旅客列車に衝突したことで、死者161人、重軽傷者120人にのぼる人的被害を出す大惨事となりました。


彼女がその列車に乗っていたのも偶然。

友人と映画を観て、あまりに感動したので、もう一度観ようということで、本来ならもっと早く帰宅路についていたのに、その列車に乗っていたのです。

僕たちのクラスで最初に亡くなられた方でもあったので、これだけ時間が経っても、あの時の驚きと悲しみは、みんなの共通の想いでした。



話変わって、最近緊急入院した経験のある(今は元気な)二人の話。

共に緊急入院なので、初日は差額ベッド5万円の部屋しかないと言われ困った、とのこと。


それを聞きながら思いました。

以前KEIさんが、ダンスはお金がかかるけれど、それで健康が保たれていると思えば、ダンス代に払うか病院に払うかの違い、と。


なるほど。5万円って、ホテルダンスパーティー代に近いか。


これからは、もう少し頻繁に会うことを約束して、帰路についた土曜日の午後でした。



さあ、明日日曜はマンデーダンスクラブで毎週お世話になっている吉敷寛人先生・棚木陽子先生が主催する、東横線綱島のダンス教室「HYCダンススタジオ」の1周年記念パーティーが、スタジオで開催されます。

タ・ノ・シ・ミ です。