今日4月5日は、妻の誕生日かつ僕たちの52回目の結婚記念日。


いつも特に特別なことはしませんが、外で食事くらいかな。


今年は、結婚しているひとり娘と会う用事もあったので、久しぶりに(孫抜きの)親子3人でランチ。


自由が丘の資生堂パーラーへ行きました。


乾杯の白ワイン。


美味しいワインでした。



メインは資生堂パーラー伝統メニューのひとつ

ミートクロケット。


コロッケと呼ばずにcroquette(クロケット)

と呼ぶのは、老舗のこだわりか。


デザート。




ランチ後、自由が丘の桜並木を。満開ですね。開花は遅かったけど、あっという間に満開?


満開を超えてもう葉桜になっている木もありました。



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さて、49年前のこの日のこと。


結婚3年目の記念日でした。

僕は大阪大学で学会。

なので前日から大阪入り。

そして4月5日。

その年は、めちゃくちゃ寒い4月5日でした。

朝からの大阪大学の発表会場。

座って他の数学者の発表を聴いている時寒くて寒くて。念のためとして持って行ったコートを着ていても寒い。


午後一に僕の発表がありました。

無事終えて席に戻り、また他の数学者の講演を聴いている時、だんだん心臓に違和感が。


ついに我慢しきれなくなって、一緒に行って隣に座っている同僚に助けを求めました。

会場の外に出ても更に心臓が。

結局、救急車で阪大病院に運ばれました。


救急車内から始めた酸素吸入で、だんだん呼吸が楽に。

救急診察の結果、心臓に異常なし。

あっ、その日は土曜日でした。だから当直のお医者さん。

「月曜にまた外来で診てもらってください」

「今旅行中なのですが」


結局、ずっとついてきてくれた僕の同僚の親戚が偶然近くにあるということで、そのお宅にお世話になることに。

一旦そこで休ませていただき、近くの個人病院に往診を依頼してくださる。


結局、その病院に入院することに。

結果、1週間入院して、東京に帰りました。


話は戻って、4月5日の夕方。

僕の同僚は妻に僕の状況を知らせるために電話をしてくれました。


その時の東京の自宅。

2歳になったばかりの娘と妻。

自宅の電話がなりました。

妻「きっと大阪から、お誕生日おめでとうの電話だわ。」

そう思って受話器を取りました。

声の主は僕の同僚。「ご主人が救急車で運ばれました。」


妻は翌朝一番の新幹線で、僕が入院した病院に来ました。


今でも言われます。

「あれは、最悪の誕生日で最悪の結婚記念日だった」と。 


東京に帰ってから大学病院でいろいろ調べましたが、特に悪いところは見つからず。

結局、心臓神経症?


でも時々症状が。



1年経ちました。

再び数学会。

この年は九州大学。

博多へ。

飛行機で行きました。

この時31歳。

実は僕の初めての飛行機経験でした。


やはり前日に博多入りして翌日九州大学の会場へ。

午前中で僕の発表は終わりました。

が、また一年前と同じ症状が。

会場を出て博多の街に出ました。

その日は日曜日。

どこの病院も閉まっています。

博多駅の駅員さんに相談しました。

福岡医師会の休日診療所を教えてくれました。

藁にもすがる思いで、そこに行きました。


現役を引退したような年配の医師が対応してくれました。

そして心電図。

異常なし。


僕は聞きました。

「これから飛行機で東京に帰るのですが、飛行機の中で心臓が苦しくなったらどうしたらいいですか?」


その時のお医者さんの答え。

そのひと言が、心臓神経症で1年間悩まされていた僕を救ってくれました。


「なるべく落ちそうな飛行機に乗りなさい。そうしたら、そっちが心配で心臓のことは忘れますよ。」


そうか!



あの素晴らしいお医者さんに出会ってから48年。

ありがとう、先生。

今僕は、元気にダンスライフを楽しんでいます‼️