楽しいと思う感覚は人それぞれ違う。
人によっても違うし、1人の人間の中でも、時が経てば楽しいと思うことが変わるのかもしれない。
例えば、子供の頃に楽しかった遊びが、今となっては全然楽しくないって場合がある。
同じ人間なのに、どうして変わってしまうのか不思議だ。
あなたは、前は楽しめていたけど今はそこまで楽しくもないってこと、ある?
楽しめなくなるのは、その人の人格が変わってしまったからなんだろうか。
それとも、一緒にいる人によって、「楽しい」か「楽しくない」かが決められるんだろうか。
もしかして、その両方とも?
だとしたら、今の自分にできるのは、まず自分がいろんなことを楽しめる人になるってことだ。
短い人生だから、楽しく生きたい。
そういえば、人生って捉え方次第で、楽しくすることも生きづらくすることもできるんだ、と考えさせられた漫画があった。
「働かないふたり」という漫画だ。
あなたはこの漫画、読んだことある?
無職の兄妹の生活が描かれている漫画で、どうやら妹は極度の対人関係築くの苦手さん。それゆえ仕事もしていない。
お兄さんの方は、なんでも器用にこなしてしまうけど、何か考えがあって(引きこもりがちな妹のためを思って?)働いていない。
けど、二人の両親も含め、「働かない」ことをニュートラルに受け止めている感がある。
決して無理をしているわけではなく、「働くことがその人の人格を決める全てではないよね」という思いを持っているのかもしれない。
その証拠に、働いている人も働いていない人も、出てくるキャラクター1人1人の人格が魅力的だ。
登場人物たちは、お金がなくても、性格に難があったとしても、状況に関係なく楽しみを見出せる。
それに、毎度毎度、他人のことを思いやるって、こういうふうにするんだなって勉強になる。
もしかしたら、楽しく生きていくコツって、人の言葉を素直に受け止めて、相手を信じることなのかな。
そう思うような漫画だ。
相手の言葉を素直に受け止めることは、多少は相手に振り回されることも許容するってことだ。
わたしは相手に振り回されることが嫌いだ。
自分の都合通りに事が運ばないと、イライラしてしまう、という自己中心的なところがある。
さっきなんて、母から「早く風呂に入れ」と蹴られたくらいで苛立ってしまった。
自己中心的だし、余裕が無さすぎる。
おそらく、心のどこかで「自分は相手から振り回されるべき存在ではない」って思っているのだろう。
でも、相手に振り回されることを許容して、それを楽しめたら、もっと人生が楽しくなりそうだ。
これまでは怒っていたようなことが、楽しくなる。
そうしたら、人生の楽しみが増える。
蹴られた瞬間に、もっと楽しめるような反応ができていたら。
もしくは、無理に面白くしようとしなくても、特に苛立ちもせず、「ごめんね、早く入るね」とだけ反応していれば。
確実に人生は変わっている。
ちょっと分かってきたかもしれない。
胸に刻んでおこう。
わたしは、他人から振り回されるべき存在だ。