種を探す旅 | 時をかける少女のように

時をかける少女のように

なんとなく生きることも良しとします。

とりあえず一週間続いた。
また一週間続ける。

 

 

今、「やりたいことがわからない」からたった1日で卒業する方法、という無料メール講座をとっている。

これは、毎日1通ずつ届くメールに書かれてある質問に答えながら、自分のやりたいことを見つめていく講座だ。

なぜ、このような講座をとっているのか。

 

 

今、自分のできることが分からないからだ。

自分のことなのに、迷子になっているのかってくらい分かっていない。

 

今日は、講座を受けて4日目。

そのメールで分かってきたことによると、わたしは人生の中で「自分の存在を忘れて、自分の憧れるものになりきる」ことが大事だと思っているようだ。

何だろう。

「自分の存在を忘れて」というのは、自分が他者からどう見られているのかを意識するのに疲れているからかもしれない。

自分の存在を忘れることができたら、他者からどう見られているのかも気にしなくて済む。

心の底では、他者からどう見られているかを気にしたくはないのだろう。

 

おそらくわたしの身体には「他者からどう見られているかを気にしない人間になると、自分にとって不都合だ!」という思い込みが染み付いているのかもしれない。

だから、他者の目を気にしない人間になりたいという気持ちとは裏腹に、身体はどうしても他者の目を気にする働きをする。

 

 

そして、わたしは未来的な観点で見ると、「居心地のよい場所で、ひとりでのんびりしていたい」という気持ちが強い。

あまりにも自分の発想がニートのそれで撃沈。

でも、その通りだ。

居心地の悪い場所からは移動するに限るし、他人と関わるのが疲れているならば、ひとりでのんびりしているのが一番だ。

わたしが生きた証拠をこの世界に爪痕として残すんだ、というのはもはやどうでも良くなっているのが面白い。

これまで、わたしは何とか爪痕を残して死んでいきたいという考えにとらわれていた気がするけど。

実は爪痕を残すことなんてどうでもよくて、今生きているわたしが楽しければ、そうやって死んでいくこともいいじゃないか、と思っていたのかもしれない。

 

 

その他にも、自分の好きなこと、という観点から掘り下げていくと、どうやらわたしは心の奥底で一番「北欧に行ってそこのデザインに触れ合いたい」と思っているらしい。

らしいって言うと、他人事のようだ。

だって、あまりにも突飛すぎて、自分のことだって忘れそうになってしまう。

 

 

そして、この他の講座では、自分の過去の観点から掘り下げていって、自分が子育てに関係することや、絵本や小説をかくことなども、好きだったと分かった。

 

子育てに着目しているは、わたしが心のどこかで「やっぱり新しく命を授かって生まれてくる人たちが、より幸せになっていけばいいよな」と思っているからかもしれない。

というのも、子どもの頃って、自分の人生を楽しくする方法や自分が幸せになる方法をしっかり分かっていた気がするのだ。

でも、いつの間にか年を重ねていろいろな経験をしていく中で、わたしのように迷子になってしまうことがある。

どうすれば子どもの頃には持っていた大切なことを、手放さないままで大人になれるんだろう。

それがわたしの不思議に思っていることの一つだ。

だからこそ、子育てに関することには興味がある。

 

 

 

もうすぐ自分の中に隠された種を探す旅は終わる。

残り3日間で、どのような種が発見されていくのか。

そして、それはわたしはこれから生きていく中で、その種を育てていくことができるのか。

 

全く分からないけど、とにかくやってみよう。