これを偏向というオカルトな論理 | 矯正知力〇.六

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Nスペ「偏向」と8389人が提訴
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=879036&media_id=2


>産業発展に貢献したにもかかわらず、弾圧差別の首謀者としてのみ描いている」と主張

頭おかしいだろwww

植民地の産業を起こすのは、支配者がより儲けるためだろうw
今のODAなんかも、出す側が儲けるためという傾向があるが
それの、もっと剥きだしなのが
植民地経営だよ

自分たちが儲けるために、インフラや産業を整備したのを
まるで台湾の人のためかのように、理屈をすり替えるオカルトさwww

「盗人猛々しい」とは、この事だ!



『植民地経営でぼろ儲け』

~大損してるなんて都市伝説を流布すんな~


大損だって話
あんまりにも抽象的すぎて、よくわからないのですよ
具体的な経済データもないし・・・

彼らが大損だっていう理由は
みんな日本が儲けるためのモノじゃないか
何をもって大損だ
韓国に施してやっただけ
などと言うのだろう?


過去の戦争を美化しようという連中が
自分の主張に踊らされるような人は
経済学の知識がないこと分かった上で
損得を直接関係のないデータのみで
訳のわからないことを言っているんだろうな



インフラ投資した金額だけを持ってきて
こんなに大損というのは、まったくもっておかしい

韓国が日本の植民地時代にやった同じことを
いまもやってるわな
ODAもそうだ(R25の記事を引用しよう)
空港つくって会社つくって
学校つくって教育し、現地労働力にする
そんで、あとから日本の企業が物を売って回収する

高速道路もそう、関空もそう
インフラに掛かった費用、建設費だけをもってきて
大損したとは言わないよね

そもそもインフラや公共事業、公共投資というのは
そこから回収するわけだ
国庫の帳簿だけをみれば、みんな赤字

民間が儲かり、そこから税金が入ることで
かなり長い年月をかけて
儲かるという仕組みになっている

実際に賠償の議論になったときに
日本が朝鮮半島で稼いだお金を返せという話になった
それだけ、儲けていたというわけだ

こういうデータをもってきて
http://chinachips.fc2web.com/repo1/015056.html

日本帝国は、朝鮮、満州に、製鉄・造船・航空機をはじめとする重工業を中心
に、莫大な投資をして多くの工場を造ったことは良く知られています。例えば
清津・利原・元山・平壌・海洲・二浦などに製鉄所を造り、仁川・鎮南浦・海
洲・郡山・元山・釜山に造船所を造りました。それ以外にも日本窒素・三菱マ
グネシュウム、理研ピストンリング、昭和電工、三井金属アルミなどなど百箇
所を超える工場を造り、今日の工業化の基礎となっています。

合邦当初、工場総数が15箇所しかなかった朝鮮半島には、1935年には、
すでに5千6百35箇所の工場が林立し、工業製品の生産額は、1931年の
不況の真っ只中でさえ16倍、実質13倍も増えたのです

といって、韓国に産業を起こしたというけれど
これと同じことは今もやってるわなw

それは、中国や東南アジア、アフリカを富ませるためか?
自分の国が、儲けるためだろう

こんな経済の初歩的なところで
勘違いして(恐らく知識がないんだろうけど)
韓国の産業を起こしただけで、日本は韓国に良いことをしてやった
なんていうのはまったくもって、おかしな屁理屈だ

インフラ整備についても、日本だけが金だしたかというと
そういうわけではない


http://www.chosunonline.com/article/20050812000046

その結果、朝鮮銀行の総発行高(貨幣発行量)は7月末の47億ウォン水準から8月末は80億ウォンと、1か月の間に2倍近く増えた。増加分の33億ウォンは、当時の価値でコメ647万石に相当する天文学的金額。

 日本人はまた、無政府状態をうまく利用し、光復後の45日間で各銀行から2億5000万ウォンの新たな融資を受け、現金を横取りしたほか、日本に送金した金額だけでも7億ウォンに上った。


▲紙切れと化した日本の国債


 日帝が戦争費用の調達に向け、朝鮮の銀行に強制的に買わせた日本国債、日本軍需産業の社債は戦後、紙切れと化し、銀行の莫大な「こげ付き」となった。


 当時、朝鮮商業銀行(現ウリ銀行)の貸借対照表をみると、全資産(23億ウォン)のうち、日本国債と政府機関の社債が2億7000万ウォンに上った。


 当時の銀行が保有していた日本国債は対日請求権の補償対象からも外された。朝鮮商業銀行はその後の南北分断により、北朝鮮地域の銀行支店(全国の65店舗中、27店舗)の財産まですべて没収され、深刻な経営危機へと陥った。



もう一ついうことがある
日本が、朝鮮半島に会社を、日本の資本投下(日本企業のお金や、国庫から)するが
それは日本が設けるためなのは当たり前の話だが
その実態を、日本でとても有名な人を例にとって紹介しよう

http://plaza.rakuten.co.jp/kamuynupe/diary/200606080000/?

2006.06.08
皇室財産(1945年11月1日) 「大日本帝国と其の周辺(343)」 [ 昭和天皇 ]
 1947年に於いて皇室財産は37億7500万円、財産税が33億4000万円かけられ、
 日本国憲法では皇室財産は国に属する事となった。
 残りは1500万円の現金と一部の貴金属・宝石・美術品、宮中三殿(賢所など)

 三直宮家を除く11宮家51人の降下が決まり。
 1947年10月18日に赤坂離宮で皇族のお別れ晩餐会が開かれた。

 以上は「昭和天皇とその時代/川原敏明」よりの纏め。

 降下した宮様には一時金があったようだが、
 久邇宮朝融王や賀陽宮恒憲王は一旗組・団体・学校の総裁・顧問を次々引き受けた。
 と続く。

 日本国民の多くが生きる事に大変だった時代。


【皇室財産 マ司令部発表】 1945年11月1日、毎日新聞(大阪)

『15億9千余万円、御所有株は29会社』

 米軍総司令部渉外局30日発表
 日本皇室の財産は現金、有価証券・土地・林材・建物のみで15億円以上に上る旨
 30日連合最高司令部により明らかにされた、

 この正確な総額は、15億9061万5500円である、

 この報告は連合軍最高司令部の指令により日本政府によってなされたもので、
 最高司令部経済科学部はこの報告を将来の日本経済を支配すべき
 計画の作成に用ひるはずである、

 なほ上述の数字は美術品・宝石および金銀塊の額を含んでいない、
 これらについての報告は追ってなされれはづである、
 またこの数字は皇族14方の財産も含んでいない、

□皇室財産の内訳は次のごとくである

 現金および有価証券(3億3615万9890円)
 土地(331万4242エーカー、推定時価3億6229万3953円)
 林材(5億9286万5000円)

□現金および有価証券の内訳
 国債(1億3822万1513円)
 地方債(2634万7217円)
 諸株(8798万3583円)
 社債(5854万6024円)
 現金(2478万8387円)

 諸株および社債の額は購入価格に基づくものである
 しかし皇室が多額の投資をされている諸会社の多くは空襲によって施設の多くを焼失、
 現在では生産皆無またはそれに近い状態である、
 皇室は諸財閥の会社を含む29会社の株を所有されるが、
 単一の保有株としてその最大のものは銀行株で、

□銀行関係の持株内訳は左の通りである

 日本銀行(20万8000株、2080万円)
 横浜正金銀行(20万9318株、2155万231円)
 日本興業銀行(4万5450株、142万312円)
 台湾銀行(3万264株、189万1000円)
 東洋拓殖会社(5万株、187万5000円)
 帝国銀行(2万9110株、128万140円)

□その他の諸会社株の主なるもの次のごとし

 王子製紙会社(6万608株、358万2150円)
 関東電業会社(3万4749株、173万7950円)
 南満州鉄道会社(8万43175株、329万562円)
 台湾製糖会社(3万9600株、198万円)

□皇室所有の土地の内訳次のごとし

 森林(318万3287エーカー、6457万5291円)
 宮城および御所(2256エーカー、2億1367万2811円)
 農地(9万7637エーカー、189万9402円)
 建物敷地(559エーカー、7987万548円)
 その他(3万502エーカー、227万5901円)

 以上所有地の評価額を見ると、
 宮城1エーカー平均価格は9万5000円とされているのに対し
 森林および農地は約20円、建物敷地は約14万3000円とされている


注)以下は投稿者の計算の為、間違いの可能性あり

 皇室所有地計:13412737374平方メートル=13413平方キロメートル(現在の日本の3.5%)
 現在の日本国の面積=377835平方キロメートル
 エーカー:1エーカーは約40.469アール、約4047平方メートル、
 アール:1アールは100平方メートル、約三〇・二五坪



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以下、某所より引用※

※(自分が書いたのか、誰かが書いたのを引用してメモっているのか
忘れてしまいましたあせあせ


●植民地経営が赤字だったとすれば
支配の年数が短かったので、インフラの投資分を回収できなかっただけ



御回答有難う御座いました。
やっと皇室の財産についてご回答を頂けましたね。
自分が調べた限りでは、天皇の資産は以下のようなものだったらしいです。。。
(高岩仁監督著『戦争案内―映画製作現場、アジアからの報告』より)
◆明治天皇は日清戦争の賠償金から二千万円を手に入れた。
◆明治天皇は台湾の最大の産業、台湾製糖の第二位の株主になって、20年後には100%の配当を手に入れていた。
◆1904年当時、京釜鉄道の最大株主であった。
【天皇家の保有株数(1942年)】
会社名 株数
日本銀行 211528
日本興行銀行 22725
横浜正金銀行 224912
北海道拓殖銀行 3000
日本勧業銀行 12750
第十五銀行 3055
第一銀行 5000
三井銀行 4500
三菱銀行 4500
住友銀行 3000
三菱信託 5000
北海道炭鉱鉄道 159776
日本汽船 161000
大阪商船 12825
台湾銀行 15132
朝鮮銀行 2600
南満州鉄道 37500
東洋拓殖 50000
台湾製糖 39600
東京電気 23842
東京瓦斯 62068
帝国ホテル 14700
合計 993103

そして・・・・最終的に戦後の皇室財産です。。
◆【1945年当時の皇室財産資産】
種別 数量 評価額 備考
土地 1352210町歩 362,293,953円  平均1反歩26円70銭に当たる
木材 561519千石  592,865,000円  1石につき約1円に当たる
建物 約150000坪  299,296,657円  坪当たり約2000円
現金        24,788,387円   
有価証券      311,871,503円  購入及び出資金額による
合計 1,590,615,599円   

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総額37億円というのは、
?http://plaza.rakuten.co.jp/kamuynupe/diary/200606080000/?
より、当時の毎日新聞によると、上記の額に美術品・宝石および金銀塊の額を加えたものらしいですね。

天皇が大量の株を保有していた企業は、ほとんど日本が行なう侵略戦争に関わっている企業や戦争の結果獲得した植民地支配関連企業のようです。つまり天皇は、日本が侵略戦争をして、植民地を拡大すれば着実に巨大な利益が得られる仕組みになっていたようなんですが・・・。なんかここのトコロをもっと詳しく知りたいんですよね。。。




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<提訴>「NHKスペシャル」内容めぐり8389人 偏向と
(毎日新聞 - 06月25日 20:13)


 戦前の日本による台湾統治を取り上げたNHKスペシャルは事実を捏造(ねつぞう)し、偏向した放送法違反の内容だとして、小田村四郎・元拓殖大総長ら8389人が25日、NHKを相手に1人当たり1万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。

 番組は今年4月5日に放送された「シリーズ・JAPANデビュー 第1回アジアの“一等国”」で、証言や史料から統治を検証する内容。

 訴状で原告は「台湾総督府民生局長だった後藤新平が産業発展に貢献したにもかかわらず、弾圧差別の首謀者としてのみ描いている」と主張。併合直後に起きた台湾人による暴動と日本軍による鎮圧について「『日台戦争』と呼んでいるのは、弾圧の厳しさを印象づけようとするもので、事実を曲げないことなどを定めた放送法に違反する」と訴えている。

 NHKは「番組の内容には問題がなかったと考えている」とコメントした。

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右翼団体とはいってない
けったいな論旨のすり替えはしないように

偕行社は認めてますし
福田なんとかという、論壇紙によく出てくる右翼も認めております

同時代的な、天皇制思想を持つ
ゆえに、右翼のものたちが認めております


◆徳川侍従長
「昭和十二年の南京占領の時、日本軍がひどいことをしたということは、私は当時から知っていました。
中国人捕虜を数珠つなぎにして撃ち殺すとか……南京虐殺があったとか無かったとか論争がある
ようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、
折に触れて「日露戦争の時の軍とは違う」ということはおっしゃっていました。」

◆元教育総監 真崎甚三大将の日記
軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり。

陸軍省人事局長阿南惟幾少将(のち大将、終戦時陸軍大臣)
 「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」


◆松井石根元大将
「さういふやうな勢で捕虜も相当出来たけれども、捕虜に食はせる物もない。
さういふ状態で戦闘しつヽ捕虜が出来るから捕虜を始末することが出来ない。
それでちょん斬つてしまうといふことになつた。それで大したことではないのだが、
南京の東南方の鎮江との間で一万余の捕虜があつたのだけれども、
そんなのは無論追撃中だから戦闘中と見てもよろしい、又捕虜となつても逃亡する者もあるし
、始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射つてしまつたのだ。」


◆岡村寧次大将
それなのにこのたび東京で、南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、
それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずるのであるから大に軍、風紀の維持に
努力しなければいけないと覚悟し、差し当り「討蒋愛民」の訓示標語を掲げることにした、
それはわれらの目的は蒋介石の軍を倒滅することであって無辜の人民には仁愛を以て
接すべしというに在った。
 上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長
原田少将、杭州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
 一 南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
 一 第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。


◆石射猪太郎氏(外務省東亜局長)
上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
これが聖戦と呼ばれ、皇軍と呼ばれるものの姿であった。
私は当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字よりも適切な語感が出るからであった。


◆重光葵(外交官・事件当時、駐ソ連大使)
「しかし、駐支大使として南京に赴任(一九四二、一)して南京事件の実相を知るに及んで、
我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった。」

法眼晋作(外交官・元外務事務次官・元国策研究会理事長)
「電信専門の官補時代に最もショックを受けたのは、南京事件(後述)であった。
敗走する中国軍を追って南京を占領(昭和十二年十二月十三日)した日本軍が、
筆舌を絶する乱暴を働いた事実である。」