【転記】【史料批判とは】 | 矯正知力〇.六

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【史料批判とは】/togetter
より転記。

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【史料批判とは】

先日、この2つを呟きました。
屋代聡さん【誰が「歴史」をつくるのか/歴史叙述における主体と問題関心】
屋代聡さん【歴史学における史実の修正】

また続編として、これも述べておきました。
【肯定的に評価されるべき「歴史修正主義」と、その条件に関して】

たまに勘違いされるのですが、歴史学における史実の修正と「歴史修正主義」、歴史学における実証と「実証主義」は、まったく違うものです。
残念ながら、後者の違いについては、歴史学研究をなさっている方でも、たまに混同が見られます。

今日はこれに関連して、史料批判の話です。

こうした英独仏において歴史修正主義者と言われた「プロの歴史家」と、わが国の歴史修正主義者の違いは何か。それは、前者には、適切な問題設定と認識論的考察、そして正しい史料批判と使用があったからだと思います。

史料から史実や歴史像を紡いでゆく際には、種々の手続きがあります。それが「史料批判」というものです。

歴史家は必ず史料にもとづいて研究します。
史料のない場合はどうするか。
論理的な推論を多少交えてることはありますが、想像力をたくましくせず、沈黙するのが学者としての基本姿勢です。

何らかの史料を見つけた際には、まずその史料が本物かどうかを考えます。偽の史料というのは意外にあるものなのです。

さらに史料が確かに本物としても、史料的価値を検討しなくてはなりません。たとえば秀吉に関わる公文書にしても、秀吉の治世に書かれたものか、江戸期に書かれたものかでは、前者の方が真実に近い内容があると思われます(あくまでおおざっぱに言えば、です)。

さらにその記録を残した者の立場を考えねばなりません。その人がどのような意図で記録を残したか、どのような政治的立場にあったのかなどを考慮し、史料に潜むバイアスを検討します。

そして史料が訴える「事実」と既知の史実を比較し、整合性が取れるか、取れないなら理由は何かなどを総合的に考え、その史料に基づいて研究できるか判断します。こうした手続きに沿って「有用」とされた史料のみが、歴史学研究の素材になるのです。

分析対象によりますが、こうした史料批判を行うには歴史学の知識はもちろん、政治学や経済学、社会学、心理学、文学、人類学、外国語や古語読解などの手法にもある程度通じていなければなりません。
歴史学は「総合知」を要求される学問なのです。

われわれ歴史家はある事実に近づくために、史料を用いますが、史料はウソをつくものなので、1つの史料をもとに史実を認定するような乱暴なことはしません。

他の史料をも必ず用いて、その史料の真贋や信頼性を総合的に判断します。また史料が意図していること(史料の作者が伝えたいこと)、史料が図らずも伝えてしまったこと、史料が伝えていないことを必ず考慮します。歴史家は常に「全体」像を見据えています。理想として、全体史を追求しているのです。

しかし歴史修正主義者、ネトウヨ、ネトウヨ的心性の持ち主はこれが全くできていません涙。むしろ正反対です。
(いませんか? 空間の意味、歴史的な背景や射程を考えずに、現在の自身の価値観で物事を判断し、細部にこだわった攻撃ばかりする人って。あれをネトウヨ的心性と呼ぶのです)

彼らは細部にこだわるというより、細部にしかこだわりません。全体をみれば、議論の勝負は明らかだからです。(自分が勝てないということに気づくほどは、脳が機能するらしいです)

それゆえ仮に100の史料のうち99の史料が南京虐殺を認めていても、1つの史料がそれを否定していれば、歴史修正主義者にとって南京での事件は存在しなくなるのです。

もちろんこの1つの史料が事件を否定していることは確かなので、僕ら歴史家はこの1つの史料について真贋と信頼性を問います。

しかし歴史修正主義者は残りの99の史料の真贋性、信頼性を問いません。いや自説を担保するほうの1つの史料についても問いません。彼らの論の決定的弱さ、根本的間違いはここにあるのです。

彼らは先行研究の枝葉末節「だけ」を取り上げて、ゆがんだナショナリズムを補強しようとする歴史家もどきとしか言えません。

歴史家は徹底的に史料に向き合って、それを空間的・時間的枠組みにおきなおし、「全体」を見据えたうえで、1つの歴史像を紡ごうとします。
なおかつ、そのさいにも、自身の研究の出発点である「現在」とのかかわりを常に念頭に置いています。

過去―現在―未来という時間の流れを意識し、問題を明確にする。
ある空間において、それが起きたということの意味を把握する。
ある過去の時点を「全体」として把握し、その上で全体を見通せる史料を渉猟・発掘する。
そしてそれを適切に1つずつ評価し、ある歴史像を提示する。
大変でしょ?笑

それが僕らの仕事です。

大変ですが、興味深いものですよ。
高校生の皆さん、文学部に来ませんか?^^ (了)

【屋代聡@yashirosatoru氏 平和教育に関する連ツイ】
(@bu0210 さんによるおまとめ)
呟いた本人が見落としていたような気が…。


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【転記】証言を歴史学はどう扱うのか