【転記】証言を歴史学はどう扱うのか | 矯正知力〇.六

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以下、mixiの猫王さんの日記より転記。

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『「慰安婦の証言は嘘」論を斬る』

証言が歴史資料にならないとか言って
このこの問題を否定する人がいるが
それこそ問題外でです
「歴史学」というものを知らないが故の間違った主張といえます


「史料うんぬん、証言うんぬん」と言って否定したい人は
それをウィキを見て知ってる程度だろうし
何よりも楽だから、まずはウィキから史料とは何かを引用します

史料(しりょう、独:Quellen、英:Source、historical materials)とは、歴史を考察する上で手がかりになるもののことで、紙に文字で書き記された文献や、考古学上の遺構・遺物・遺跡、イメージ史料となる絵画、写真、オーラル・ヒストリー、伝承などを含む。歴史家が歴史を研究・記述する際に用いるあらゆるものが史料である(紙の代わりに古くは木簡・竹簡、粘土板、石板などにも書かれたが、これらは伝世品であれば「文献」と言い、出土品なら遺物と言いわけるのが一般的である)。

・一次史料
一次史料とは、その当時の生の史料のこと。古文書、当事者の日記、手記、手紙など、その当時の人物が作成した文書類や収集した事物など。その時代のコインや新聞記事等も一次史料になりうる。

・二次史料
二次史料とは、同時代史料以外の(一次史料などによって後から作成された)編纂物などのこと。例えば、明治時代に書かれた「豊臣秀吉」伝は二次史料である。但し、研究テーマによってはこの著作自体をその当時の秀吉像や歴史観を知る一次史料として用いることも可能である。



ここからは史料についての解説を、ごく簡単でありますがしていきます

史料ってね、要は歴史を考えてみるとき、参考になるものなのですよ
あらゆる物が、史料として扱われているのです
そういった史料の本質を見ると、証言が史料になる事がわかります

証言が歴史を考える上で参考にされるようになったのは、二十世紀になってからです
当たり前ですよね
それより前の時代の人は、既にお亡くなりになってますから
現代の歴史学が証言を得ることはできませんよね(笑)
だから、本人が書いた日記なんかを「史料」として採用するんです

先に引用した一次史料の項目をみると
「事者の日記、手記、手紙など、その当時の人物が作成した~」
とありますよね

当事者の日記と発言、その違いは何ですか?
書き記したかしてないかの違いだけで
本質は何もかわらないですよね?
本人が思ってる事を、口に出して言うか
寝る前にベッドで日記で書いたか
その違いだけですよね

「証言は史料じゃない」といって
有無を言わさずはねつけるのは問題外です
それは歴史学という人文科学の手法ではありません


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次ぎに歴史事実の認定の方法について、ごく簡単にではありますが、紹介します

『歴史事実の認定の方法』

~一般論と従軍慰安婦について~

◆書や証言などの史料をどうみるか

≫ひとつの証拠品、書や証言で何がわかるか 
~単体の場合~

まずそれ単体で、何かが分かるということはまずありえません
その書や史料の「裏を取れ」などと言う人もいますが
それは科学の方法では普通は無理です
心霊術を用いると可能なのかも知れませんが
私はそれを心得ておりませんし、それを信用もしておりません

歴史学がその研究の対象にするものは、当然に過去の出来事です
それをいま現在の刑事事件のように
目撃者や関係する人の証拠を得る事は、不可能に近いからです

それは書物でも同じで
そこに書かれている事象について、その書だけを読んでも
記してあるものが主観によるものなのか
客観的事実なのか、判断する材料がありません
その裏付けをとろうにも、当時の人はもう生きていないか
立証できるほどの証人も生存している事はほぼ稀であります

まずここまでで分かることは、一つの書や証言が
本当の事を表現しているかもしれないし、間違いかもしれない
ということです
そして、そのひとつの史料だけで、その裏を取ることも不可能です

TVなどでお宝が本物かどうか、鑑定する「鑑定人」なる専門家が登場します
番組をみていると、その書や絵画、骨董品など単体をみて
真贋のジャッジを下します
「先ほど単体では真贋ジャッジは不可能と言ったじゃないか!」
と思われる方もいるでしょう

実は、その専門家の真贋に用いた手法は、単体だけをみて判断しているのではありません
次ぎに、彼らがどういった方法を用いたのか、説明しましょう


≫TVの専門家の真贋ジャッジの方法

豊臣秀吉の発給した書が出てきたとします
それ単体だけを見ると、当然にも真贋はこれまで述べたようにわかりません
過去に置いて、すでに豊臣秀吉の書について論証され
どういうものが真であるかの基準が設けられたからです
その基準に照らし合わせることで、真贋の判定が下せるのです

「当たり前の事を言うな」とおっしゃる方もいるでしょうが
回りくどくとも、踏まなければならない手順なので、ご容赦ください

ではその真贋を見極める基準はどうやって設けられるのか
ここからが本題に入ります


◆真贋を見極める歴史学的手法

豊臣秀吉の書が、本物かどうかを見極めるのに
花押(判子のようなもの)が本物かどうかという事が挙げられます
それだけじゃないけれど、わかりやすくするために
それだけをココでは取り上げます

出てきた書に押された花押が本物かどうか、それを鑑定することは不可能です
詳しい説明はいらない自明の事でしょう
ではどうするのか?
同様の書を多く見比べてみるのです

秀吉から伊達政宗に下された書
同様に、家康に、石田三成に
そういう書を並べて、花押のかたちを見比べるのです
かたちが一致すれば、その花押は秀吉のものであり
それが押してある書は秀吉のものと推定してよいとなるわけです

桃山時代の「多門院日記」、「山科卿日記」など
さまざまな資料がありますが
それらの記述の共通している部分も
上で花押の例えで説明したように、歴史事実と推定できます

これが歴史学の資料判定の手法です
もちろん、示し合わせて家康や政宗、三成などが
架空の人物をでっちあげようとして
共同して偽書をつくった可能性はあります
だから推定止まりでしかないのですが
そんな可能性はほとんどないでしょう

0に限りなく近いけれど、可能性があるからといって全体を否定する事は
論理学のようで論理学でありません
論理学でないということは、その理論が理屈の上で、破綻しているということです

話はそれますが、進化論なども、大雑把にいって歴史と同じです
決定的な証拠がでることは、まず不可能です
客観的事実を丹念に拾い上げ、比較検討し
その結果、事実を推定する
のです

ここで、従軍慰安婦の問題に話を移しましょう


◆従軍慰安婦の史料

書や証言、公文書といった史料について
上述した歴史学の一般的な事実認定の手法に基づいてみることにします


≫公文書
まず公文書については、説明することはありません
これを疑う人も、私のブログに来るお客さんでいましたが
問題外です
古い時代のものであれば、その真贋を見極めるのに
印などを検証しないといけませんが
国が直接、関連省庁において保管していたものは
疑いようがない
のです
これを否定すれば、世界中の歴史文書、事実が否定されます
合理的な考えとは言えません

その存在を論証しろという主張は論理的ではなく
疑うなら逆に、なぜ偽者なのかを証明しないといけません
ココに、この問題で私と論争している相手の方の間違いがあります

日記などの書と証言について

これについては同じ論理で説明できますので、一緒にしてご説明します

はじめの方で述べたように
「ひとつの書」、「ひとつの証言」
それを取り上げて
それらのの真偽を、見極めることは不可能
です
ココで分かることは、それが本当かも知れないし、嘘かもしれない
という事です

そこで、既に紹介した歴史という科学の手法に則って
書や証言を集めてみるのです

慰安婦の強制連行が伺える書や証言(もちろん史料)は、たくさんあります
・まずされた側
・日本軍兵士や軍属の側
両方からあります

日本軍兵士の書や証言は
何も「慰安婦という悪行を訴えてやる!」と正義に燃えてという
ものばかりではありません
その記述には、明らかに日本以外のアジアに対する蔑視の表現が記載され
慰安婦についても、悪く思ってないモノもあります

書かれた時期も場所も違います
・陣中日誌のように、リアルタイムのモノ
・終戦後、兵隊さんの同窓会的組織の会誌で書かれたモノ
・この問題が顕著になって、重い腰を上げて書かれたモノ

慰安婦問題に悪く思ってない者も含めて
証言や書を残した人が、時代を越えて「示し合せて」
慰安婦の存在や強制を示す書を書いたり証言することは不可能
です

こういった事から、「従軍慰安婦」や、その「強制」が
あったとする事は、合理的
なのです

この事は同時に、上で花押の論証の例で挙げたのと同じく
慰安婦関連の証言や書といった史料の論証にもなるのです
(それだけが論証する方法のすべてではないけどね)

こうやって概ね、歴史の事実をあらわしているとみなされた
書や証言を疑うなら
「論証しろ」という主張は、論理的、歴史学、科学のなんでもいいですが
それらに当てはまるものではない事がおわかりでしょう
どうしても主張されたいのなら
逆に、書や証言が嘘だと証明しなければなりません


証言はデタラメといって。従軍慰安婦の問題を否定する者は
歴史という科学の手法を知らない者である


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参照
【転記】慰安婦問題・日本側の公文書だけを見ても強制の事実は覆らない

【転記】従軍慰安婦を否定したいのなら・・・


【転記】【史料批判とは】