5月 6日土曜日、丹沢連峰大山に登りました。
 

2018年 4月に阿夫利(あふり)神社を訪ねて以来、
 

五年越し二度目の登頂です。前回との違いは、ケ

 

ーブルカーを使わなかったこと。大山は全行程の

 

半分程度をケーブルカーで登ることができますが、
 

今回は全て徒歩での登頂を目指します。

 

 

 まずは、小田急線伊勢原駅へ向かいます。旅


はこれがなくちゃあ始まりません。

 

 伊勢原駅からはバスに乗り、大山ケーブル駅
 

へ。駅から登山口まではバスでも 25分程度か
 

かりますから、さすがにここは歩きません。登
 

山はバスを降りた所から始まります。バス停は
 

既に坂の途中で、登山口まで登り坂が続いてい
 

ます。

 

 

 坂道を登って行くと、こま参道があります。


こまは江戸時代から続くこの地を代表する土産
 

物だそうで、参道は阿夫利神社にお参りする際
 

に通る道だからです。この商店街も坂の途中に
 

あって、少し歩くと直ぐに階段を登ります。両
 

側にある土産物屋や飲食店を眺めながら歩くと、
 

またまた階段があります。

 

 

 道の中央には、こまが描かれたタイルが埋め

 

込まれています。最初は小さいこまが一つです

 

が、参道を進む度にこまの数が増えて、大きい

 

こまが二つと小さいこまが七つで、27 のこまが

 

出てきたら登山口に到着です。ここ迄バス停を

 

降りてから約 600m。少しづつですが、既に登

 

山は始まっているのです。

 

 

 登山口は距離は短いけど急な男坂と、いくぶ


んゆっくり登る女坂があります。日頃全く運動
 

しておらず、脚力にはからっきし自信がない私
 

は女坂を選びます。

 

 

 男先と女坂の分かれ目にある、「追分社(おい


わけしゃ) 八意思兼(やごころおもいかね)神
 

社」に登山の安全を祈願してから登り始めます。
 

ところが後で検索してみたら、知恵を司る神様
 

で、登山には関係ありませんでした(笑)。

 

 

 女坂の上り始めにある清流です。

 

 

 女坂は急な階段が多いですが、お地蔵さんが


いるこんななだらかな道もありました。

 

 

 爪切り地蔵です。道具を使わず、一夜の内に


手の爪で削ったお地蔵さんだそうです。この辺
 

りは急な石段が続くのですが、写真撮り忘れた
 

のでこちらを。女坂といえども、けっこうキツ
 

イのです。

 

 

 前不動明王朝と書いてあります。不動明王の


お堂ですが、今現在仏像は祀られていないとの
 

こと。訳も知らずに手を合わせましたが、また
 

もご利益無しか・・・

 

 

 不動明王のお堂の左隣には、倶利伽羅竜王堂


があります。小じんまりとした朱塗りで、雨乞
 

い、照乞いのお堂だそうです。古来より天気を
 

司取っていたのは竜の神様ということですかね。

 

 

 女坂の中点には、雨降(あふり)山大山寺があ


ります。海から吹いてくる湿った風が大山に当
 

たって低気圧が発生して雨が降るので、雨降山
 

なのだそうです。阿夫利神社のあふりも、雨降
 

りなのだそう。大山寺へ向かう階段脇では、36
 

童子象が出迎えてくれます。不動明王の下で働
 

く童子で、役割はそれぞれあるのでしょうが、
 

武器を持った像も多いので護衛の意味もある
 

のかと。

 

 

 急な石段を登りきると、大山寺です。七五五
 

年開山とのことなので、由緒ある古いお寺でご
 

ざいます。お寺の中は撮影禁止、かつ、暗くて
 

よく見えませんでしたが、護摩祈祷が行われる
 

そうです。ここではありませんが、一度祈祷し
 

ていただいたことがあります。火事になるんじ
 

ゃないかと冷や冷やする位に火をバンバン焚い
 

て、大声で経を唱えるのです。間近で見ると、
 

迫力ありますよ。

 

 

 お寺の左には宝篋印塔があります。青銅でで


きており、ちょっとかっこいいというか、雰囲
 

気のある塔です。ミニチュアを作って、部屋に
 

飾りたいかも。香花を供えて右回りに三度回る
 

と願が叶うそうです。

 

 

 梵鐘です。元は徳川家光によって奉納された
 

そうですが、当時の物とは違うようです。

 

 

 寺から少し歩くと、十一面観音があります。


どこに十一面もあるの? と思ったら、頭の上
 

にありました。写真拡大すると解ります。

 

 

 その裏側には小さな観音様がびっしりと。こ


りゃあ十一面どころじゃないな。

 

 

 女坂に戻ります。女坂には七不思議という物


があるのですが、とにかく急な斜面を登るのが
 

大変で、いちいちチェックすることができませ
 

んでした。これは目形石です。目の形に似てい
 

るそうで、石に触れて祈祷すると目が健やかに
 

なるそうです。私は既に老眼が始まっているの
 

で、これ以上悪化しないように祈りました。

 

 

 女坂とは名ばかりか? こんな道が延々と続
 

きます。都会の坂登りじゃなくて登山ですから
 

仕方ありませんが。この日の神奈川県は夏日と
 

いうことで Tシャツ一枚で登ったのですが、既
 

に汗びっしょりでした。左側の手すりがとても
 

ありがたい。脚は既に疲労しているので、左手
 

で手すりをがしっと掴んで、重い脚を引っ張り
 

上げました。

 

 

 ふーっ、やっと阿夫利神社の下社に到着です。


男坂も女坂もケーブルカーもここ迄で終了。頂
 

上迄はまだ半分しか着ていないのですが、既に
 

疲労困憊なので、境内で一休み。昼食はおにぎ
 

りと玉子焼き、お茶です。汗をかくのは予想し
 

ていたので、玉子焼きはあえて塩分を強めにし
 

ました。

 

 

 境内には獅子の像がありました。その昔、境


内には獅子や石塔等、多くの石造物があったそ
 

うですが、関東大震災の山津波で無くなってし
 

まったそうで、この獅子は平成の時代に奉納さ
 

れたそうです。無知で申し訳ありませんが、山
 

津波という言葉を知りませんでした。関東大震
 

災で緩んだ地盤に雨が降って土石流が発生し、
 

石造物が流されてしまったということのようで
 

す。

 

 

 社の下には、取水場がありました。持参した


茶を一本以上飲んでしまっていたので、ありが
 

たくちょうだいいたしました。湧き水でしょう
 

か? 疲れた体に沁みました。こういうサービ
 

スは登山者にとって誠にありがたいです。

 

 

 社の隣には浅間社があります。浅間神社とい


うのは大山のみならず、あちこちにありますね。
 

Wikipedia によると、「「浅間」を社名とする
 

神社。主に富士山に対する信仰(富士信仰/浅間
 

信仰)の神社」だそうです。昔から、富士山に
 

登ったのなら大山にも登らなくてはならない。
 

その逆もまたしかりということだそうで、その
 

理由がこの浅間社に祀ってある神様の娘が富士
 

山に祀ってあるからだそうです。すなわち大山
 

は富士の父であり、娘を参ったのなら父にも挨
 

拶せよって話なのだそうです。

 

 

 さて、ここからが登山本番です。って、今迄
 

も十分きつかったのですが、これからは女坂の
 

比ではありません。こんな道とも言えないよう
 

な道が延々続きます。とはいえしっかり食事し
 

たので、体力はだいぶ回復しました。足取りも
 

軽く? いや、だいぶやられてはいますが、と
 

にかく登って行きます。

 

 

 大きい石の道と小さい石の路、どちらが歩き


やすいでしょうか。大きい方は石に乗った時に
 

バランスを崩さないように注意が必要です。又、
 

段差が大きい場合には、しっかり脚を上げない
 

とつまづいてしまいます。小さいと脚を大きく
 

上げなくてもいい分だけ楽ですが、砂利は滑り
 

やすく、ずりっと落ちそうになります。まあ結
 

局、どっちもどっちってことですね。

 

 

 途中に見える景色は綺麗ですが、見とれてい
 

る暇はありません。この時点で 15時 9分でし
 

た。下山してくる人が多く、頂上を目指すなら
 

急いだ方がいいとアドバイスされました。今は
 

日が長いので暮れてしまうことは無いにせよ、
 

気温が下がるかもしれないし、なにせ風が強く
 

なってきました。

 

 

 疲れ切った脚を引きずって、やっと頂上まで
 

600m の所まで来ました。地上なら 600m はす
 

ぐそこです。一瞬元気になって、更に登って行
 

きます。

 

 

 もう 500m 位登った? と思ったら、突然こ
 

の標識が・・・ えーっ! まだ半分しか登っ
 

てないのぉ・・・ うそだろ! 超がっかりし
 

ましたが、標識に悪態付いても頂上は低くなり
 

ません。

 

 

 気を取り直して登り始めると程なくして上社


の鳥居が。えっ! 二度目のビックリです。鳥
 

居が見えたのなら、頂上はもうすぐなのです。
 

さっきの登りが 300m というのなら、今回の登
 

りは 100m 位の感覚しかありません。標識に嘘
 

は無いと思うのですが、何なんだろ。

 

 

 いよいよ上社が見えてきました。ここまで来


たらもう着いたも同然です。

 

 

 やったー 山頂です。汗だくだし、疲れて死


にそうだし、風が強くて寒いし、いいこと無い
 

ですが、とにかくめげずに登りきったのはよか
 

ったです。

 

 

 前回登った時も思ったのですが、大山って登


山する過程が過酷な割りに、頂上で得られるご
 

褒美感が少ないです。阿夫利神社の上社も奥の
 

院もこんなで素っ気ないし、一つだけある売店
 

も営業していません。でもまあ、何であれ維持
 

管理してゆく人は必要な訳で、その人達があの
 

道無き道を日々登ってきて管理するのかという
 

と、それは割に合わないだろうと思うのです。
 

だって、1,200m 超えの立派な山なのですから。

 

 頂上でゆっくりしている暇はありません。帰
 

りは帰りで、またあの石だらけの山道を降りな
 

ければなりません。暗くならない内に降りたい
 

し、さすがに疲れたのでケーブルカーだって乗
 

りたい訳ですが、最終までは一時間程度しかあ
 

りません。何度か滑ってバランスを崩しながら
 

も、とにかく阿夫利神社の下社まで降りてきま
 

した。と思ったら、17時を知らせるチャィムが。
 

えーっ、ケーブルカーの最終は 17時なのです。
 

仕方なく、ガクガクする膝をかばいながら、延
 

々と続く女坂を降りてきました。

 

 

 やっとこま参道まで戻ってきました。豆腐料
 

理を掲げた看板がとても多いです。これは、江
 

戸時代からの伝統だそうです。大山は江戸時代
 

から既に人気観光スポットで、士農工商、あら
 

ゆる人が訪れていました。遠くから来るので参
 

道の宿に宿泊する訳ですが、士や商はお金を払
 

って宿泊します。ところが農家の人達はお金が
 

ありません。貧乏だという以外に、お金を持つ
 

習慣が無かったそうです。ほとんど自給自足の
 

生活をしていて、必要な物は物々交換で入手し
 

ます。そもそもお金が必要無かったのですね。
 

なので、農家の人達は米や豆を宿に置いて、そ
 

の対価として泊めてもらっていたそうです。特
 

に大豆が多かったとか。そうすると宿は大豆が
 

多く集まります。豆があるなら豆腐を作ろうと
 

いうことで、こま参道では豆腐作りが盛んにな
 

ったそうです。さすがに今は豆で泊まる人はい
 

ないので、近隣の秦野あたりで作っている大豆
 

から作った豆腐を使っているそうです。

 

 

 脚を引きずりながら伊勢原駅へ戻ってきまし


た。何はともあれエネルギー補給ということで、
 

大衆ビストロ ライオンに飛び込んでみました。
 

なんと、一時間 800円でワイン飲み放題! 旨
 

い料理をつまみに乾ききった体にワインをジョ
 

ボジョボ入れて、大満足でございました。