「料理」について書くのだから、「料理」ということについて改めて調べてみた。「料理」とはことわ

り(理)をはかる(料)ことである。ものごとには何であれ、それぞれに訳(意味)があり、それをきち

んと認識した上で、ことにあたるという意味である。料理をするには食材が必要である。まずその食材を

吟味する。そしてその食材には、必ず道理にかなった調理方がある。吟味した食材を、道理にかなった方

法で調理する。あるいは、人にはそれぞれその時々で異なった事情がある。時間の有無、体調の良し悪

し、色々とある。その時に、その人の状況をはかり、その人に事情にあった食べ物を作る。これが「料

理」である。普段なにげなく使っている言葉であるが、その意味は非常に深いのである。

 最近、また料理をするようになった。わざわざ「また」と書いたのは、私の場合、料理をする時期とし

ない時期に波があるからである。私にとって料理は義務ではなく、ひまつぶしのようなものなので、それ

でもかまわないのである。ちょっと前までは、しばらくの間料理をしていなかった。その前はほぼ毎日の

ように料理していた。そんな感じである。なぜ波があるのか、答えは簡単である。最初は自分で作る料理

に酔って自己満足しているのだが、だんだんとそんな自分に嫌気が差してくるのである。はっきり言う

と、私の料理はおいしくないのであるが、最初は作ったということだけで満足してしまい、それが何日か

続く。熱に浮かされているようなものだ。熱はいずれ醒めてくる。冷静になると、自分の作った物の欠点

がだんだんと見えてくる。そうすると、どうしておいしくないのか、どうすればおいしくなるのか考え始

め、次の日にそれを生かそうとしてまた料理する。しかし、またもや自分のイメージとは乖離した料理が

できあがる。少しでも溝を埋めようとして、翌日また戦い、そして大抵は敗れる。そうやってだんだんと

戦意喪失してゆくのである。連れに言わせると、そんなことはない十分ではないかという。だがそれは

絶対に違うのである。私の頭の中には確固たるイメージがあり、イメージ通りの味を出したいのである。

たまには成功するのだが、安定して作る技量が無いのが問題である。思うに、プロとアマチュアの一番の

違いはそこにあるのではないかと思う。毎日一定の味を出せるのがプロで、味にばらつきがあるのがアマ

チュアであると思う。だから私は、どんなまずいレストランであったとしても、料理人は尊敬する。プロ

の料理というのは、まずいはまずいなりに、毎日きちんとまずいのある。たまにはおいしいなどというこ

とはあり得ない。店の経営という点からは問題であるが、これはこれですごいことだと思う。

 そんなことを子持ちの知人に話したら、一笑に府されてしまった。知人にとっての料理は義務であり、

選択肢のない家事なのである。「ことわりだかなんだか知らないけど、あんたのように、のんきに作りた

いときだけ作っていればいい訳ではないのよ。あたしは、子供の為に毎日なにかしらのエサをつくんなき

ゃなんないのよ!」だそうである。おまけに、「ほんと男の料理なんてしょうもないわ!」だそうであ

る。同席していた連れにも、「つまんないことで悩んでないで、料理作ってくれないなら、代わりに洗濯

でもしてよ!」と言われてしまった。そう、私の料理は、所詮、男の料理なのである。