9月に入ったが、まだまだ暑い日が続いている。しかしさすがに、朝方は空気がひんやりとしてきた。
窓を開けて寝ていると、朝の冷たい空気で風邪をひきそうになる。気を緩めることなく、この残暑を乗り
切ろうと思う。スタミナをつけて、もうひとがんばりである。さあ今晩は焼肉にしよう!
若いころ皆で焼肉屋に行くと、よくルール違反だと叱られた。思いあたる方も多いかもしれないが、焼
肉には色々なルールがある。どうも当時の私は、そのルールに反していたと言うのである。
肉の一番おいしい焼き加減はどの位かという議論がある。いや、あったというべきか。rare だ
well-done だとかまびすしかったが、最近は meduam-rare と相場が決まっている。自慢する訳ではない
が、私は昔から rare から meduam 位が最もおいしいと思っていた。しかしこれがそう簡単には行かな
い。焼肉屋では、だいたい4人に一つの割合で焼き網が割り当てられる。そうすると、4人がめいめい好
き勝手に肉を焼き始める。4人集まると1人や2人必ずいるのが、自分の食べる分だけでなく、他人の分
まで焼いてしまう奴だ。他人の分というか、とにかく、焼き網いっぱいに肉を広げないと気のすまない奴
だ。私はそのような奴らを心底憎んだ。彼らは焼くだけ焼いて、放っておくのである。本人達に訊くと放
っている訳ではないと言うが、私からしたら、放っているとしか思えないのである。最適な焼き加減など
全く眼中になく、結局話に夢中になったりして、貴重な肉を炭にしてしまうような奴らだ。しかも奴ら
は、その炭をもったいないといって食うのである。コゲとアルコールを合わせると、発癌率が飛躍的に高
まるのは、当時から常識だった。そういう連中と一緒のテーブルになったら、もはや運の尽きである。仕
方ないので、私は well-done にならないように、meduam-rare 位の焼き加減になると、肉を片っ端から
食べ始めた。well-done になってしまった肉など食べられるものではない。パサついてしまって、全くう
まくない。必然的に、私一人が圧倒的なスピードで食べ進むことになる。そうすると、他の3人から文句
が出るのである。「どうしておまえは人の分まで食うのか。」、「まだ焼いていたのに。」云々である。
肉の焼き方は人それぞれぞれ好みがあるのは承知している。しかし私からすると、好み以前の問題であ
る。とにかく、最もおいしい状態の rare から meduam を逃すことは愚の骨頂である。まして、話に熱中
して、炭にするなどもっての外だ。そのせいで、険悪なムードが漂ってきた。たかが焼肉の焼き方でと笑
われるかもしれないが、されど焼肉の焼き方なのである。仕方ないので、私は妥協案を提案した。「1.
人の分まで焼かない。2.自分が一度に食べられる分だけ焼き、炭にならないうちに食べきってしま
う。」。幸いにも提案は受け入れられた。ひと時のなごやかなムードが訪れた。しかし、またもや文句が
出た。やはり私だけが食べ過ぎだというのである。事実、皆が自分の分だけ焼いても、やはり私の食べる
ぺースは他を圧倒していた。なぜか。それは簡単な理屈である。私は rare から meduam 位まで焼けると
その肉を食べてしまう、そしてすぐに2枚目を焼きにかかる。その時他の3人はとうして
いるか。やっと1枚目の肉をひっくり返すのである。完全な well-done である。彼らが両面をきっちり
焼いた well-done な肉をやっと食べる時、私は2枚目の meduam-rare なおいしい肉を、彼らと同じタイ
ミングで食べるのである。別に図った訳ではないが、私はほぼ他人の倍のペースで肉を食べていたことに
なる。仕方ないので、きちんと説明した。肉は rare から meduam 位の焼き加減が一番うまく、
well-done になってしまったら、パサついてうまくないと。しかし彼らは、それは個人の好みの問題で、
自分達はよく焼いた方が好きなのだと反論してきた。今から考えると身勝手な理屈であるが、私には好き
嫌いの問題ではなく、うまいかうまくないかの問題であり、せっかく親切で教えてやっているのに、わか
らん奴らだと思っていた。議論は平行線をたどった。またもや空気が険悪になってきた。日本は当時から
民主主義国家であった。又私は、リベラルな思想を持っていた。他の3人の言い分よくを聞いて、じっく
りと検討した。その結果、私は新たな提案をすることができた。焼き網のスペースを譲ることにしたので
ある。他の3人に、私の倍のスペースを提供した。そうすれば、彼らは今までの倍の肉を焼くことができ
きるので、well-done まで焼いたとしても、結果的に私と同じペースで肉を食べることができるのであ
る。
私達は晴れて和解に成功した。このように、どのような修羅場になったとしても、冷静に相手の意見に
耳を傾け、お互いに理解しあう道を探ることは非常に大切なのである。私は政治については素人である
が、世界中の諸問題について、是非私の経験を提案したいと思う。ラブ・ピースである。(^_^)v
窓を開けて寝ていると、朝の冷たい空気で風邪をひきそうになる。気を緩めることなく、この残暑を乗り
切ろうと思う。スタミナをつけて、もうひとがんばりである。さあ今晩は焼肉にしよう!
若いころ皆で焼肉屋に行くと、よくルール違反だと叱られた。思いあたる方も多いかもしれないが、焼
肉には色々なルールがある。どうも当時の私は、そのルールに反していたと言うのである。
肉の一番おいしい焼き加減はどの位かという議論がある。いや、あったというべきか。rare だ
well-done だとかまびすしかったが、最近は meduam-rare と相場が決まっている。自慢する訳ではない
が、私は昔から rare から meduam 位が最もおいしいと思っていた。しかしこれがそう簡単には行かな
い。焼肉屋では、だいたい4人に一つの割合で焼き網が割り当てられる。そうすると、4人がめいめい好
き勝手に肉を焼き始める。4人集まると1人や2人必ずいるのが、自分の食べる分だけでなく、他人の分
まで焼いてしまう奴だ。他人の分というか、とにかく、焼き網いっぱいに肉を広げないと気のすまない奴
だ。私はそのような奴らを心底憎んだ。彼らは焼くだけ焼いて、放っておくのである。本人達に訊くと放
っている訳ではないと言うが、私からしたら、放っているとしか思えないのである。最適な焼き加減など
全く眼中になく、結局話に夢中になったりして、貴重な肉を炭にしてしまうような奴らだ。しかも奴ら
は、その炭をもったいないといって食うのである。コゲとアルコールを合わせると、発癌率が飛躍的に高
まるのは、当時から常識だった。そういう連中と一緒のテーブルになったら、もはや運の尽きである。仕
方ないので、私は well-done にならないように、meduam-rare 位の焼き加減になると、肉を片っ端から
食べ始めた。well-done になってしまった肉など食べられるものではない。パサついてしまって、全くう
まくない。必然的に、私一人が圧倒的なスピードで食べ進むことになる。そうすると、他の3人から文句
が出るのである。「どうしておまえは人の分まで食うのか。」、「まだ焼いていたのに。」云々である。
肉の焼き方は人それぞれぞれ好みがあるのは承知している。しかし私からすると、好み以前の問題であ
る。とにかく、最もおいしい状態の rare から meduam を逃すことは愚の骨頂である。まして、話に熱中
して、炭にするなどもっての外だ。そのせいで、険悪なムードが漂ってきた。たかが焼肉の焼き方でと笑
われるかもしれないが、されど焼肉の焼き方なのである。仕方ないので、私は妥協案を提案した。「1.
人の分まで焼かない。2.自分が一度に食べられる分だけ焼き、炭にならないうちに食べきってしま
う。」。幸いにも提案は受け入れられた。ひと時のなごやかなムードが訪れた。しかし、またもや文句が
出た。やはり私だけが食べ過ぎだというのである。事実、皆が自分の分だけ焼いても、やはり私の食べる
ぺースは他を圧倒していた。なぜか。それは簡単な理屈である。私は rare から meduam 位まで焼けると
その肉を食べてしまう、そしてすぐに2枚目を焼きにかかる。その時他の3人はとうして
いるか。やっと1枚目の肉をひっくり返すのである。完全な well-done である。彼らが両面をきっちり
焼いた well-done な肉をやっと食べる時、私は2枚目の meduam-rare なおいしい肉を、彼らと同じタイ
ミングで食べるのである。別に図った訳ではないが、私はほぼ他人の倍のペースで肉を食べていたことに
なる。仕方ないので、きちんと説明した。肉は rare から meduam 位の焼き加減が一番うまく、
well-done になってしまったら、パサついてうまくないと。しかし彼らは、それは個人の好みの問題で、
自分達はよく焼いた方が好きなのだと反論してきた。今から考えると身勝手な理屈であるが、私には好き
嫌いの問題ではなく、うまいかうまくないかの問題であり、せっかく親切で教えてやっているのに、わか
らん奴らだと思っていた。議論は平行線をたどった。またもや空気が険悪になってきた。日本は当時から
民主主義国家であった。又私は、リベラルな思想を持っていた。他の3人の言い分よくを聞いて、じっく
りと検討した。その結果、私は新たな提案をすることができた。焼き網のスペースを譲ることにしたので
ある。他の3人に、私の倍のスペースを提供した。そうすれば、彼らは今までの倍の肉を焼くことができ
きるので、well-done まで焼いたとしても、結果的に私と同じペースで肉を食べることができるのであ
る。
私達は晴れて和解に成功した。このように、どのような修羅場になったとしても、冷静に相手の意見に
耳を傾け、お互いに理解しあう道を探ることは非常に大切なのである。私は政治については素人である
が、世界中の諸問題について、是非私の経験を提案したいと思う。ラブ・ピースである。(^_^)v