今日のお題は「皮」である。「皮」といっても、皮革の話ではない。私のブログは食に関するブログ

なので、食品の「皮」の話である。うまい皮、まずい皮、食べられる皮、食べられない皮、とにかく

「皮」を片っ端から考えてみる。

 まず最初は鯛から。鯛は皮目がおいしい。湯霜にすると、歯ごたえがでる。皮のすぐ下には、適度な脂

があり、皮の歯ごたえと、脂の旨みが同時に味わえる。行き着けの寿司屋で訊いたところ、湯霜にするな

ら 3キロ位までの大きさの鯛が限度だそうである。それ以上大きくなると、皮が硬くなり食べられないと

のことであった。しかし最近は、湯霜にしない店も多い。板前に訊くと、手間がかかるのと、特に女性に

多いそうであるが、きもち悪がる客がいるからとのことであった。非常にもったいない話である。湯霜に

してうまいのは、いさきなども同じだ。いさきは鯛に比べ、皮の色が黒いので見栄えは悪いが、皮付きの

方がうまい。

 驚いたのがあまだいだ。初夏の時期、何件かのフレンチのレストランで、あまだいのソテーをいただい

た。どの店も皮つきのままソテーしてあるのだが、なんと、皮だけでなく、鱗まで残してあるのだ。

鱗をわざと立たせて、上から直火で炙ってある。この鱗がなんとも言えずうまいのである。シャクシャク

とした食感で、皮のパリパリさよりもっと繊細な食感を与えてくれる。もしかしたら、単に私が知らなか

っただけかもしれないが。いずれにせよ、最初にこの技法を考えた人に感謝だ。

 皮を語る時かかせない魚は鮭である。人によっては、鮭の中で一番うまい部位だという人もいるくらい

だ。又、鮭の皮は食べるだけではない。昔から靴を作ったり、生活の場に様々に利用されていた。かくい

う私も鮭の皮には目がない。昨年北海道に行った際、鮭の皮のチップスのような物を買ってきた。鮭の皮

だけを油で揚げて、軽く塩が振ってある。そのまま食べてもうまいのだが、念には念を入れて、もう一度

脱水するとさらにパリパリになりうまい。フライパンにチップスを入れ、強火で空煎りする。そのうち皮

の内側に付いている鮭の脂がでてくるので、火からおろす。皮を皿にとり、更に電子レンジに入れる。こ

れで完璧にカリカリパリパリになる。塩が足りなければ、フライパンの段階で塩を足す。あつあつのうち

にビールのつまみにする。鮭のいい香りとカリカリの食感がやみつきになること請け合いだ。こんな特別

な料理でなくても、鮭の皮はうまい。普通に切り身を焼いただけでも十分だ。鮭は火を通すと身がパサつ

く傾向がある。このパサつき感を皮はみごとに救ってくれる。内側の脂は身にうるおいを与え、皮自身

は、カリッとした食感を与えてくれる。皮だけでもうまいが、身とのコンビネーションもまた、ばつぐん

なのである。このように、鮭の皮は優れものなのである。

 積極的には食べないのが烏賊の皮だ。烏賊は北から南まで幅広く取れて、古くから日本人には馴染みの

深い食材である。調理法も多岐に渡っているが、煮物にする場合など、皮つきのまま使うことはあって

も、その皮が特においしいとか、皮だけを使った料理等は聞いたことが無い。とはいえ、もう一度調べて

みたら、塩辛の種類でわざと皮を残したままつける種類があった。思い返してみると、母が漬けた塩辛

で、皮が剥ききれていない身を食べたことがあった。皮は噛み切れず、食感がよくない。皮だけ吐き出し

てしまった。母に文句を言うと、すまないと謝っていた。母の感覚としても、塩辛に皮は不要だったので

あろう。その塩辛をわざと皮ごと漬けるというのは、どういう意味があるのだろうか。一度試してみた

い。

 もう一つ烏賊の皮といえば、あおりいかである。あおりいかの身はねっとりとした甘みがあり、非常に

美味である。寿司屋で見かけると、必ずオーダーしてしまう。しかしこれがなかなか無い。理由を訊いて

みると、皮を剥くのにとにかく手間がかかるのだそうだ。寿司職人である義父にも訊いてみたのだが、同

じことを言っていた。義父曰く、江戸前の寿司で使う烏賊は、昔からスミ烏賊だそうだ。スミ烏賊も適度

な歯ごたえと甘味のバランスがよく、とてもうまい烏賊であるが、夏場のあおりいかのうまさはまた別格

である。誰か自動皮剥き機でも開発してくれないだろうか。

 魚以外の食材についても書くつもりだったが、魚のことを書いているうちに、長くなってしまった。

魚以外については、また次回に書こうと思う。