日本人は概して、他国の文化を取り入れるのに寛容だと言われる。食の分野におい

ても、ずいぶんといろいろな国の料理を取り入れてきた。取り入れてその国の料理を

忠実に再現するのではなく、日本人の好みに合うように、勝手にアレンジしてきた。

取り入れた方の側と、取り入れられた方の側では見方も異なると思う。ある意味食文

化の蹂躙とも言えるし、料理の発展に寄与したとも考えられる。結論は出ないまでも

、ちょっと考えてみるには面白いと思う。 

 昔読んだ雑誌に、和風スパゲッティに対するイタリア人のコメントが載っていた。

ある人は絶対に許せないという。理由を訊いたところ、「じゃあなた方日本人は、う

どんにトマトソースをかけて食べるのか。」と逆に質問されていた。尤もな意見であ

る。うどんにトマトソースをかけて食べていたのは、学生時代の給食位であろう。す

くなくとも私は、うどんにトマトソースをかけて食べたいとは思わない(だが、うど

んによく似た手打ちパスタはあるではないか。どこか高級なイタリアンレストランで

実験してみてはどうだろうか。うどんに U-don とか適当なイタリア名を付け、手打

ちパスタのように見せかけて、トマトソースをかけて提供するのである。皆けっこう

だまされるのではないだろうか。)。この雑誌では、高名なパスタ研究者のコメント

も掲載していた。彼は真っ向から否定していた。高齢でもあり、柔軟な発想には至ら

なかったのであろうか。それにくらべて興味深かったのが、彼の奥方である。「あら

、別にいいじゃない。おいしかったわよ。」といった具合である。長年研究を続けて

きた身からすれば、素材や調味料等、パスタとしては受け入れ難い要因があったので

あろうが、奥方の方はいたって気楽なもので、「おいしければいい」である。実はこ

の例は非常に思慮に富んでいると思っている。食は文化なので守って行かなくてはい

けない、絶対に譲ってはいけない部分があると思う。そこを譲ってしまうと、もはや

、同じ料理とは言えず、似たような料理になってしまうのである。その一方で、文化

かもしれないが、おいしければとりあえずいいのではないかと考える人もいるのであ

る。またそれが、料理の幅を広げることにもなろう。皆さんはどのようにお考えか。

 他国の料理ばかり考えていても不公平なので、日本の料理も考えてみることにする

。エッセイストの玉村豊男さんが、海外の回転寿司事情を取材した本を読んだ。その

中で、とても印象的な記事がある。とあるヨーロッパの国の一般的な家庭で、手巻き

寿司パーティーを開いた時の記事であるが、なんと、シャリに酢を合わせていないと

書かれていた。海苔に普通の飯を取り、刺身を乗せて、手巻きにして終了である(山

葵の有無は失念してしまった)。私はこれは寿司ではないと思う。刺身入りおにぎり

である。本来寿司というのは、魚を長期保存する為の手段として発展してきた料理で

あり、殺菌の為にも酢はかかせないはずである。これんなものを寿司というのはやめ

てほしいと思った。恐らくは、見た目が寿司であれば、彼らにとっては寿司なのであ

ろうが、本来の意味についても、少しは考えてみて欲しいと思った。寿司が世界的な

広まりを見せていることは、日本人として嬉しいことではあるが、せめて、酢、シャ

リ、ネタ、山葵、海苔のセット位ははずさないでほしいと、寿司好きで保守的な日本

人としては切に願う。