自慢する訳ではないが、幸いにも私には嫌いな食べ物がない。子供の頃、母がなんでも食べさせてくれ

たおかげだと思う。今でも母には感謝している。偏食は本人の責任であるが、それ以上に親の責任も大き

いと思う。

 では好き嫌いのある人が、それを直す為にはどうしたら良いのだろうか。グルメ漫画を例に取ると、あ

るきっかけにより、嫌いだった食べ物を食べることができるようになるという、王道のパターンがある。

大抵はその食材の産地に出向き、鮮度のよい物を食べることにより、その食材が本来持っているおいしさ

に目覚め、食べられるようになるどころか好物になってしまうというパターンである。鮮度が悪いとか、

添加物が多く使われている等の理由で、食べずらい臭いや、独特のクセが付いてしまっていて、その食材

の持つ本質的な味が歪められいるものを、その食材の味と勘違いしてまっている為、食べられなかったの

である。私はそんなものは漫画だけの世界だと思っていた。いくら鮮度が良くても、その食材の持つ本質

的な味は変わらないと思っていた。しかしながら、その考えを覆されたことがある。何年か前になるが旨

い鹿が食べたくて、北海道十勝の猟師を尋ねたことがある。猟師はヒレやロースに混じって、ハツやレバ

ー等の内臓を分けてくれた。家族を集めてこの内臓を焼いてみたところ、実にすばらしく、大好評であっ

た。あまりにも皆でおいしいを連発するので、レバーが大嫌いで、今まで決して食べようとしなかった甥

がちょっと食べてみると言い出した。最初はおっかなびっくりでちょっとつづかじっていたのだが、やが

て「これおいしい。」と言ったかと思ったら、バクバク食べ始めたのである。残ったレバーはあっと言う

間に甥に食い尽くされてしまったのであった。所詮子供とは自分勝手な生き物である。ちなみに私は、小

さいのを一切れしか食べることができなかった。大人げ無いが、あんなにおいしかったのにと思うと、ち

ょっとくやしいのである。

 話は変わるが、私の実父はピーマンが苦手である。昔は全く食べなかった。しかし今ではあまり好きで

はないにせよ、食べることができるようになった。父は一時期、山にある工事現場で現場監督のような仕

事をしていた。食事は飯場といって、食事を摂る為の専用の小屋があり、工事に携わる人は皆そこで飯場

のおばちゃんが作ってくれた飯を食う。ある時、おばちゃんはピーマンが安いからという理由で、大量の

ピーマンを仕入れてきた。それ以来、くる日もくる日もピーマン料理ばかりになった。今日は煮付けて、

翌日は炒めて、その翌日は焼いてというように、一応バリエーションはあったようなのだが、とにかくピ

ーマンである。ピーマン週間の初日、父は全く食べられなかったようだ。当然、おばちゃんにはクレ

ームを付けただろう。

「あのさーおばちゃん、俺さーピーマン苦手なんだよね。何か他の物作ってくれないかな。」

しかし、一笑に付されたことは想像に難くない。何十人もの人が飯を食うのである。いくら監督とはい

え、個人の好き嫌いなどいちいち聞いていたら、何も作ることができなくなってしまう。

「何言ってんだい。嫌なら食べなくったっていいんだよ。」

全くとりあってもらえない。何時の時代も一番強い人は、食べ物の権利を握っている人なのである。

困った父は他の手段を模索しただろう。しかし、山中の工事現場である。飯場の他には全く何もないので

ある。コンビニなんてまだ無かった時代である。いや、あったとしても、遥か麓まで降りて行かねばなら

ない。監督が現場を長く離れる訳には行かないだろう。選択肢は無いのである。二日目からは観念して食

べ始めたそうだ。そのおがげで、好きではないにせよ、今ではピーマンを食べることができるようになっ

たのである。飯場のおばちゃんに感謝である。