2023年は、僕として悲しすぎる年でした。
年明け早々の1月にYMOの高橋幸宏氏が亡くなり、3月に同じくYMOの坂本龍一氏が亡くなりました。
YMOは1970年後半から1980年前半にシンセサイザーとコンピューターを駆使した音楽で一世を風靡したスーパーグループです。
ラジオを流すとYMO。
テレビを付けるとYMO。
街を歩くとYMO。
そんな時代があって、当時は音楽に興味がない子供でも自然に耳に入ってくる音楽がYMOの楽曲でした。
僕もそれに影響された少年のひとり。
自分の音楽の原点はYMOのコンピューターミュージックだと思っています。
そのYMOの高橋幸宏氏と坂本龍一氏が亡くなった事は、あまりにも衝撃的でした…。
同期で(コンピューターに合わせて)叩くのも考案されたのはこの方で、あのタイトでジャストなドラミングは、ドラムを齧っている僕の理想でした。
そして坂本龍一氏、教授…。
彼の楽曲は、どれも素晴らしく個人的にはテクノポップの神と思ってます。
テクノは、自分の音楽の原点でありこの人達が教えてくれたと思っています・・・。
そして10月。
もう、信じれませんでした。
BUCKーTICKのVo.櫻井敦司氏の急死。
いまだに実感が湧きません…。
音楽に目覚めたのがYMOならば、バンドに目覚めたのがBUCKーTICKで。
BUCKーTICKは、僕の青春時代ずっと流れていた曲でした。
死んだ親友と一番たくさん聴いたのもBUCKーTICK。
童貞捨てるときに流れていたものBUCKーTICK。
バンド始めようぜってなったきっかけもBUCKーTICK。
みんなとバカやっていた時には、全部BUCKーTICKが側にありました。
少し死について冷めている僕でも、悲報を聞いた後にBUCKーTICKの曲を聴いたら涙が止まらなくなり声を上げていました。
でも、凄いですねBUCKーTICK。
続けるんだってさ。
フロントマンが亡くなっても続けるんだってさ。
最後の一人になるまで続けるってさ。
凄いね、BUCKーTICK。
ファンでいてよかった。
じゃあ、仕方ないから自分の最後までファン続けるよって言いたくなりますよね。
まさか、BUCKーTICKで漢を教えてもらう日が来るとは思ってなかったかなぁ。
35周年の節目にライヴ見れて幸せでした。
最後に11月にthe birthdayのチバユウスケ氏の死。
僕の中では、ミッシェルガンエレガントのチバユウスケ氏。
the birthdayの楽曲は、僕には少し大人っぽくって、やんちゃなミッシェルガンエレガントが大好きでしたね。
まさにロックンロールなお人でしたね。
缶ビールと咥えタバコでギターかき鳴らして、どれだけ様になるんだって話。
ミッシェルガンエレガントの伝説の夜は、もうテレビ前で震えていたのを今でも覚えています。
なんで、こんなに一気に亡くならないといけないのですかね。
ロックの神様は死んだのか?
それとも元々、そんなのいないのか?
全くシルバーには関係ない話でしたけど、こんなアーティストが居たんだよって覚えていて欲しいな。