人には自らの価値観があるし、考え方がある。
それは、十人十色だし、違っていて当然だと思う。
だから、議論を交わすのは大いに結構だとも思う。
但し、忘れてはならないのは、
“自分が正しくて相手が間違っている”
排他的な考え方を持ってはいけないということ。
先入観や固定観念も必要ない。
※好悪の感情も含む
何度話しても噛み合わない相手がいる。
何度話しても同じ失敗を繰り返す相手もいる。
何を話しても一方通行な相手もいる。
自分のことを棚に上げる相手もいる。
こういう人たちとの議論は疲れるだけで不毛。
例えば、辻褄が合わない部分があって、そこを論破するのは簡単だけど…。
論破しても何も生まれない。生まれるのは憎悪や恨みだけ。
「waste of time!」
議論は勝ち負けではない。
まずは自分自身を客観視できるかどうか。
自分と価値観や考え方が違う相手は、まるで人間ですらないような。
そういう考え方自体が稚拙だし、自らの可能性を狭めていることに気付いて欲しい。
狭い世界の中で生きていると、本当にその周辺のことしか見えなくなる。
これは怖い。私は怖い。浦島太郎になるのは嫌だから。
価値観、考え方、信念は持つべき。
しかし、それは幹や根の部分であって、
枝葉は自在に彩りを変えられるくらいの臨機応変さを持って欲しい。
それが我が身を助け、可能性を広げるのだから。