とうこです
日日是好日の続編、好日日記を読んだ。
本当は持ち歩きできる単行本が出るまで待ちたかったけれど、すぐには出そうにない。
読みたいものはやっぱり今読もう!
と思い購入。
と書くと迷いなく買ったように聞こえる。
が、実際はなんとかケチろうとして
古本屋で買うほうが安いしお得じゃない?
定価で買う必要あるかな?
などと買う前に散々悩んだ![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
![アセアセ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/100.png)
でも好きな人の本だし、その人に少しでもお金が流れたほうがいいなとおもい
本屋で購入することにした。
好日日記は、24節気ごとに作者が感じること悩んだこと情景がこまやかに描かれている。
それを読んでいるだけで、四季を感じて
豊かな気持ちになれた。
本文のなかで、お茶の先生が
「かはたれどき」
という言葉を会話の中で使っている。
「かはたれどき」とは「彼は誰時」
つまり、そこにいる人が誰か、訊かなければ判らない、薄暗い明け方や夕方のこと
のちに、朝方に限定し、
「黄昏(誰そ彼)」が夕方を指すようになった。(本文より)
かはたれどき…
昔の人は、時を指す言葉になんて美しい名前をつけたのだろう。
いつか、かはたれどきという言葉を自然に使ってみたいものだとおもう。
24節気というと、立春、夏至、冬至くらいしか気にとめていなかったけれど、これからはもっと季節のながれを意識してみよう。
この本も折にふれてきっと何度も読み返してしまうだろうとおもう。
お茶を習い始めて、祖母も叔母も母もお茶を習っていたことを知った。
「昔の人は花嫁修行としてやっていたからね」
と母は言っていたけれど、自分もお茶となにかしらの縁があったのかなぁなんて不思議な気持ちになった。
若い頃は自分がお茶の世界と縁があるなんて思いもしなかった。
作法がむずかしそうだし厳しそうだし、
習おうなんて気はさらさらなかった。
でも気づくとお茶は、自分の人生をより豊かにしてくれるもののひとつになっている。
数年前、
「遊びに来がてら体験してみる?」
ときっかけを作ってくれた師匠のおかげ。
飽きっぽいわたしが、こんなに続いているのも嬉しい誤算だ。