素晴らしかった10月7日(土)の新国立劇場のワーグナー/神々の黄昏。演出についての感想も自分としてはそこそこまとめて、気持ちスッキリ。まあ、怪しいところは忘却の魔酒のしわざ、ということで(笑)。「見返すと、どんどんボロが出るので、次に行こ、次!」というモードになりかけました。

 

(参考)2017.10.7 ワーグナー/神々の黄昏(新国立劇場)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12318170643.html

 

しか~し、どうしても一点だけ疑問が残ります。どうして一番最後の場面にアルベリヒが出てきたのでしょう?もとい、わざわざト書きにないアルベリヒを出したのか?ここがどうしてもストンと落ちません…。今回のニーベルングの指環全体の中で、ジークフリートでの5羽の森の小鳥たちとともに、演出のゲッツ・フリードリヒさんが意欲的に仕掛けてきた、もう1つの場面だと思います。ご覧になられた方で、「そんなの○○○○○に決まってるでしょ!」と整理できた方、いらっしゃいますか?

 

 

改めて、今回の神々の黄昏のラストをおさらいすると以下の通りです。

 

 

ハーゲンが“Zurück vom Ring !”「指輪に近づくな!」と叫ぶものの、ラインの乙女たちにライン川の中に引き込まれて終了

 

愛の救済の動機、ラインの乙女たちの動機、ワルハラの動機の3つの動機が重なる、ニーベルングの指環で最も感動的な音楽

 

(愛の救済の動機)

 

(ラインの乙女たちの動機)

 

(ワルハラの動機)

 

ワルハラの動機と神々の黄昏の動機が重なる音楽

(ここの最後の方でアルベリヒが出てきた)

 

金管による大音響のジークフリートの動機

(雷が沢山落ちて、アルベリヒが驚いて逃げ出す)

 

ジークフリートの動機)

 

愛の救済の動機によるエンディング

(ブリュンヒルデが焼け野原から起き上がり、遠くを見つめるような表情で幕)

 

 

ルベリヒは舞台左から出てきて、舞台奥のライン川の方を見ながら右に歩いていき、舞台中央辺りで雷に驚いて舞台右に逃げて行きます。これだけなら、別に出てきても出てこなくてもいい演技にも思えます。

 

ここで、ハッと思ったのが、アルベリヒが雷に驚いて逃げた時に流れていた音楽は、ジークフリートの動機でした。そして、愛の救済の動機が流れる中、ブリュンヒルデが起き上がり幕。ということは…?

 

 

つまりこれ、もしかすると、ジークフリートの魂がブリュンヒルデをアルベリヒから守った、ということではないでしょうか?

 

ジークフリートの動機は、ワルキューレでヴォータンの告別の歌の最後に朗々と歌われたり、よくジークフリート本人がいないところで象徴的に出てくる動機です。ハーゲンの奸計によりブリュンヒルデを裏切ったものの、最後の最後にブリュンヒルデへの愛ゆえ、死しても魂がブリュンヒルデをアルベリヒから守った、と考えると大変感動的です。

 

そして、続く愛の救済の動機。この動機は、一番最初に出てくるのは、ワルキューレ第3幕でブリュンヒルデに助けられたジークリンデが高らかに歌い上げる感動的な音楽(私、ここで毎回涙します…)。神々の黄昏でもブリュンヒルデの自己犠牲に伴って出てくるので、「ブリュンヒルデによる愛の救済」というイメージを持ちがちです。音型もブリュンヒルデの動機とよく似ています。

 

(ブリュンヒルデの動機)

 

しかし、もしジークフリートの魂がブリュンヒルデを助けたということなら、「ジークフリートによる愛の救済」と捉えることもできるかも知れません。ジークフリートの魂に助けられ、その(ジークフリートによる)愛の救済の動機が流れる中、ブリュンヒルデが起き上がる、そう考えると、より一層感動的です。

 

思えば、ブリュンヒルデのペトラ・ラングさんは、最後起き上がった時、遠くを見つめるような、何かの意志をかみしめるような、何とも言えない絶妙な表情をされていたように見えました。もし、ジークフリートの愛により助けられて、その感謝やジークフリートを遠く想う気持ち、そしてこれから新しい世の中を切り開いていく決意が込められていたならば、とても自然な表情のように思います。

 

もし、以上の解釈でいいのであれば、アルベリヒはこれらの流れを分かりやすくするために出てきたのかも知れません。アルベリヒなしでも、このストーリーは成り立ちますが、アルベリヒが出てくると、ブリュンヒルデが守られた、ということを視覚的に分かりやすく提示できるからです。単に、息子のハーゲンが心配で見にきた、という第2幕冒頭の親子喧嘩に近いやりとりに対比させての、ニーベルングの親心を見せただけかも知れませんが、ジークフリートの動機を強調するために、演出として敢えて出した、と考えた方が考察としては面白くなります。

 

 

まとめると、

 

ブリュンヒルデはジークフリートの魂によりアルベリヒから守られ(ジークフリートの動機)、ジークフリートの魂に助けられて生き残り(ジークフリートによる愛の救済の動機)、新しい世界を作っていく。

 

 

こう考えると、ただでさえ感動のラストが、より一層感動的となり、かつ、味わい深くなると思います。そもそもジークフリートの動機がどうしてここで出てくるのか、従来の解釈に対する新しい問いかけであり、もしかすると、ワーグナーの真の意図を見事に読み解いた、慧眼の演出なのかも知れません。

 

なお、最後の愛の救済の動機は、新しい世の中をブリュンヒルデが愛もて救済していく予告の意味も重ねて、ジークフリートに加えて、ブリュンヒルデによる愛の救済の動機、と併せて捉えてみてもいいかも知れません。

 

 

以上が7日(土)に観た後、ここ数日の間、ラストについていろいろと思いを巡らせた上での一考察です。

 

 

 

この考察が合っているかどうかは分かりません。まあ、また、やらかしてしまった感ありありですが(笑)。ブログに書かずに黙っていれば、またトンチンカンなこと言って!、とか思われずに済むのに、懲りずに進んで突っ込んでいって、この人、本当にアホですね?(笑)

 

ただ、考察が合っているかどうかはさておき、私が強く感じたのは、今回の演出のゲッツ・フリードリヒさんが、あのトンネル・リングで一世を風靡し、異端児とも言われたゲッツ・フリードリヒさんが、最晩年に、テクストのみならず、ワーグナーの音楽も十二分に読みこなした上で、一見オーソドックスに見せかけつつ、いろいろな意味や示唆、仕掛けをちりばめながら、今回の演出を創っている、ということです。およそシロウトの私なんぞには思いも及ばないような、深い深い洞察によるテクストや音楽の掘り下げ、それが今回の演出に反映されていると思うのです。

 

思えば、私が初めてオペラを観たのは1998年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演、ゲッツ・フリードリヒさん演出のワーグナー/タンホイザーでした。ヘルデン・テノールのルネ・コロさんの最後の来日公演で、指揮は若きクリスティアン・ティーレマンさんでした。初めて観るオペラ、素晴らしい歌と演出に、何が何だか分からず号泣した思い出があります。あれからほぼ20年。そのゲッツ・フリードリヒさんの味わい深い、最後の演出となるニーベルングの指環を4夜全て観ることができ、そして、少しは謎解きを楽しむことができるようになれて、本当に感慨深いものがあります。

 

以前に、バイロイトでニワトコのリキュールを飲みながら、ハンス・ザックスのニワトコのモノローグをおさらいして、ハンス・ザックスの境地に倣って新しい芸術を迎えたい、という決意を書きました。指揮者やオケ、歌手はもちろんですが、演出も偉大な芸術家の創作行為。私はこれからもハンス・ザックスの心構えで、新しい演出を楽しみたいと思います。

 

(参考)2017.8.15 ニワトコのリキュールとニワトコのモノローグ

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12311285726.html

 

 

そして、今回の公演で改めて思い知ったのは、ニーベルングの指環の奥深さです。私はワーグナーの作品では、とにかくパルジファルが一番好きで、次いで、タンホイザー、ニュルンベルクのマイスタージンガー、トリスタンとイゾルデ。それから、さまよえるオランダ人、ローエングリン。最後にニーベルングの指環で、もしかするとリエンツィの方が好きかも知れません。自ずとこれまで力の入れ方が違いました。

 

ですが、今回の奥深い演出、素晴らしい指揮者・オケ・歌手の競演を観て聴いて、ニーベルングの指環をもっともっと探求してみたいという気持ちが高まりました。また近い将来に逢えることを祈って!(また何かのフラグ?笑)