7月21日に観に行って大感激したベルギー奇想の系譜展。その後、図録を読んで勉強しましたが、激混みになる前に、ということで、速攻で2回目を観に行きました。

 

(参考)2017.7.21 ベルギー奇想の系譜、ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで(ザ・ミュージアム)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12294754045.html

 

 

「良い芸術は答えを与えない、疑問を残すのだ」

 

図録では、このヤン・フート前ゲント市立現代美術館館長の言葉から始まるエリック・ワイスさん(アーティスト/キュレーター)の解説が明快で説得力があり、非常に読み応えありました。特に、ベルギーの近代美術史で、ジェームズ・アンソール、ルネ・マグリット、マルセル・ブロータールスの3人の芸術家が重要な位置を占める、とおっしゃっていたのが印象に残りました。

 

前回はヒエロニムス・ボスやその周辺が中心でしたが、今回はベルギー象徴派以降をご紹介します。一番好きな分野です。そして、今回は音声ガイドもお借りして、鑑賞しました。分かりやすい解説とともに、一部の絵の解説では、音楽が流れていましたが、これがまた絵に抜群に合うのです!個々の感想は個別に。

 

 

(写真)ジャン・デルヴィル/レテ河の水を飲むダンテ

※購入したポストカードより

 

まずはジャン・デルヴィル/レテ河の水を飲むダンテ。解説には、ダンテは死後もベアトリーチェへの愛を貫かなかったことで彼女に責め立てられ、悔恨の念で卒倒するが、目が覚めると淑女マテルダがダンテをレテ河のなかに浸し、彼は前世の憂いを忘却させるその水を飲む。ダンテは左手で水をすくうようにしながら、右手で純潔を表すユリを差し出している。ダンテの悔悛と罪の浄化が象徴的に表現されている、とありました。

 

前回観た時には、ジャン・デルヴィルには他にもっと象徴的な絵があることを知っていたので、実はこの絵にそこまで感銘を受けた訳ではありませんでした。今回は音声ガイドを聴いての鑑賞。音声ガイドからは、リストのダンテ交響曲の第2楽章「煉獄」冒頭の音楽が、何とピアノ版で聴こえてきました!

 

この絵にピッタリな絶妙な音楽!管弦楽版ももちろん素晴らしいですが、水のきらめき、うつろいを表しているようなピアノの音がこの絵に何と寄り添うことか!絵の魅力を十二分に高めて、リストって本当に凄い!!!この音楽を聴きながらこの絵を観ると、法衣といい、彫りの深い顔といい、ダンテではなくて、晩年に宗教に帰依したフランツ・リストその人のように思えてきます。

 

リスト・ファンの方にお知らせです。音声ガイドの音楽と共に必見の絵です!ぜひご鑑賞ください!(私は本日、絵の前で音声ガイド10回くらい聴きました、笑)

 

 

(写真)クノップフ/ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院

 

次にフェルナン・クノップフ/ブリュージュにて、聖ヨハネ施療院。死の都と称されたブルージュらしい作品です。時が全く止まって水の動きもなく、施療院はあるものの全く人の気配が感じられない絵です。もはや施療院かどうかも分からないくらいの静寂に包まれている不思議な魅力の絵です。

 

ブルージュ、死の都、と言えば、何と言ってもコルンゴルトのオペラ「死の都」。コルンゴルトの音楽は静寂・沈滞というよりは幻想・陶酔という感じで、正にベルギー象徴派を体現しているかのよう。亡き愛妻マリーへの尽きせぬ想いや、それが高じてのマリエッタという幻を見るに相応しい街です。2014年の新国立劇場の公演は歌手・オケ・演出が揃って返す返すも素晴らしかった。また観てみたいオペラの筆頭格です。

 

 

(写真)トマス・ルルイ/生き残るには脳が足らない

 

次に、トマス・ルルイ/生き残るには脳が足らない。これは本当に考えさせられる作品です。解説には、自身の体と理想に囚われてしまった人の哀しき姿、傍目から見れば十分なほど持っているはずのものでもまだ飽き足らない姿を、大きすぎる頭で自滅している現代の人間像、とありました。音声ガイドから流れてきた、アンリ・プスールという作曲家の「マドリガルⅠ」という曲の、無伴奏クラリネットによる何とも滑稽な音楽が絶妙に合っていました。滑稽な音楽はファゴットの専売特許と思っていましたが、クラリネットもやりますね!足るを知る。自分への戒めを含め、大変興味深く眺めました。

 

 

(写真)レオ・コーペルス/ティンパニー

 

次は、レオ・コーペルス/ティンパニー。この作品、骸骨が逆さに吊るされて、ティンパニーを叩いて、実際に音が聞こえる作品です。ちょうど金曜と土曜の18:30と19:30にパフォーマンスがあるとのことで、実演を聞きました(それ以外の時間はただ吊るされているだけで音は聞こえません)。ボン、ボン、ボンボンボン。思ったより鈍い音です。

 

この骸骨、胸に金塊を抱いて、口には絵筆をくわえています。拝金主義の画家は芸術家の魂は既に死んでいて、画家の絵筆に相当するところのティンパニーのマレット(ばち)にすらなれず、出てくる音はおよそ芸術に値しない無残な音、という警句が込められた作品と私は捉えました。それが証拠に、せっかくパフォーマンスがあったのに、足を止める人はほとんどいませんでした。ユーモアを見せつつ、金の亡者の芸術家にはおよそ芸術的な表現はおぼつかない、ということかも知れません。いろいろと考えさせられます。一方、解説では、本作が意味するのは芸術家の死後もなおその価値が進んでいく芸術そのものかもしれない、とありました。いろいろな見方があって面白いですね。

 

 

(写真)マルセル・ブロータールス/マウスが「ラット」と書く

 

最後は、マルセル・ブロータールス/マウスが「ラット」と書く。前回、人間と猫のやりとりの音声による作品をご紹介しましたが、この方、1963年に詩人から芸術家に転身、宣言し、オブジェ、彫刻、インスタレーションを作り始めたそうです。

 

この絵はタイトルのフランス語”La souris écrit rat”の聞き方によって「マウスがラットと書く」とも「マウスは書くだろう」とも取れますが、実際に描かれているのは猫の絵、というシャレた作品です。トムとジェリーで、ジェリー(ネズミ)がおっかなびっくりトム(ネコ)にいたずらするシーンを思い浮かべました(笑)。

 

 

そして前回もご紹介した、人間と猫が現代美術作品についてやりとりする音声による作品、マルセル・ブロータールス/猫へのインタビュー。今日は時間があったので、本当に猫と人間がコミュニケーションを取れているのかどうか、じっくり聞いてみました。現実的にはおよそ考えられないコミュニケーションですが、話している内容からも、やりとりの間合いや音の強弱からも、私はコミュニケーションがしっかり取れているように感じました。猫にどんな絵を見せているのでしょうか?「これはパイプである」「これはパイプではない」という猫への問いかけが続くので、パイプを描いているにも関わらず、「これはパイプではない」というタイトルのルネ・マグリットの不思議な絵ではないかと思いました。

 

さきほどの「マウスが『ラット』と書く」の絵といい、この方は本当に猫が大好きなんですね!私の好きなNHKの番組「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」では、7月16日(日)の放送で、七面鳥と生活をして七面鳥の言葉を理解した研究者の感動的なドキュメンタリーをやっていましたが、ここまで猫に愛情を注いでいるブロータールスさんのこと。やはり猫の言葉がばっちり分かるんだと思います。ブロータールスさん、今回の美術展で最大の発見でした!

 

 

 

7月に観たウエスト・サイド・ストーリーは、人種間の対立による悲劇の物語でしたが、ブロータールスさんは人種を超え、異なる生き物との間でさえも分かり合える、というさりげない示唆を、とてもほっこりした、ユーモア溢れる形で表しています。

 

そんなみんなが分かり合える世界が実現するといいなと心から思いました。あの感動的なサムウェアの歌詞にあるように。Somehow, Some day, Somewhere.