再開
久しぶりにここを訪れて、消していた過去の記事を復活させた。過去の記事をざっと読むと、いかにも未熟で頭の悪い学生じみた文体に辟易としたが、それが自分の軌跡であり、自分の過去を記録し、受容することは何かしら意味があるのではないだろうか。
この夏米国に来てみて、想定していなかったくらい心境の変化があった。8年前にロンドンに出向したときのような、自分の可能性を刺激されている。米国は大きく、サンフランシスコには優秀な人が多い。これだけ世界の富が集まり、日々世界を変えているだけのことはある。渡英して8年、ロンドンの生活もだいぶ落ち着いてきて、自分の人生も落ち着いてきたような気持ちになっていたが、世界にはまだまだ大きな可能性があるのだと思い知った。日本の大学に行かずに、米国の大学に来ていたら、西海岸で機械工学や物理を学んでいたら、自分の人生は随分と違ったものだっただろう。そこまでいかなくても、米国のMBAに来ていれば、こちらに残った可能性があったかもしれない。高校生の時、海外の大学に行きたいと思い英語の勉強を頑張っていたけれど、どうしたら行けるのかもよくわからなかった。社会人になって海外MBAでも行こうかと思い、また試験勉強をしてみたが、結局中途半端で、出願もせず、そうこうしているうちにロンドン出向の話が来て米国MBAの話なんてどこかに飛んで行ってしまった。スタンフォードMBAに憧れていたので、スタンフォードにもし来れていたらまた違ったキャリアや人生になっただろう。
ロンドンの生活に不満があるわけではない。以前からすると、自分は驚くほど幸福な生活を送っているし、仕事もそれなりに順調にできている。それでも、欧州は停滞しており、米国の活力度合いは欧州のそれとは桁違いであり、それを直接肌身で感じるにあたり、自分はロンドンで今の生活を送ることに満足して良いのだろうかと自問する。米国での大きな可能性があるのではないか、いつまでアドバイザリー業などという非効率な仕事をするのか。人生の新しいチャプターを開くべきではないのかなど、色々と思うところはある。このまま歳を取っていってよいのだろうか。今見えるこの新しい可能性をつかむべきではないのか(できることなら掴みたい)と思う。ただ、自分はもう既にロンドンに根を生やし、責任がある立場にある。安易に自分の意志で人生を変えられるようなフェーズではもはやない。それでも、カリフォルニアにきて、米国の大自然を目の前にして、自分が英国という小さな島国、欧州という停滞したマーケットの中で削り合いのゲームをしていることに対して自問せざるを得ない。新しい人生、新しい環境、新しい仕事、新しいパートナー、そういうものに憧れる自分がいる。僕は本当にどうしようもない。今更別の人生を夢見てどうしようというのだろう。ロンドンでもできることはたくさんあるが、現状に対する微修正にしかならない。
この数年は、多くの時間を無駄にしてきた。色々な場所に行ったり、色々な経験をしたのに、その一つ一つをしっかり楽しむ努力をしていなかった。本を読むことを止め、同じ音楽をずっと聴き、くだらないSNSやネット動画に時間を浪費した。もっとたくさん楽しめたし、もっと自分の可能性に懸けることができたはずだ。またはフランス語やスペイン語を向上させることもできたはずだ。日々の喧騒に感けて、ぼんやりと生きていた。これはいずれにせよ変えなければならないし、いかにもつまらない人間になっていた自分を変えたい。美しい景色に感動して、美しい瞬間を多く持ちたい。未熟で稚拙な学生時代の方が、まだしっかり自分の人生というものが見えていたかもしれない。このまま老死するところだった。米国に来て良かった。自分はまだまだやれる。