REAL | Memento

REAL

 クアラルンプールでの乗り継ぎ便が遅れたせいで、ジャカルタの空港に着いたのは午後9時を過ぎてからだった。査証を買って、入国審査を済ませてから教授と合流し、車に乗り込んだ。空港は思っていた以上に雰囲気が悪く、付近にはいかにも旅行者狙いの浮浪者たちが大量にたむろしていたが、教授がこちらで車とドライバーを手配していたので、そんな浮浪者たちとは関わり合わずに済んだ。それからBogorという町のホテルに泊まって、翌日は朝から超伝導重力計の液体ヘリウムの交換や、電気系統の調整をする予定だった。久しぶりの東南アジアは、生温い空気が懐かしく、熱帯地域特有の高い夜空が浮かんでいた。それほど暑くもなく、むしろ肌寒いくらいの中でのドライブは快適だ。高密度の漆黒を切り裂いて、車は高速道路を飛ばしていた。

 ドライバーは、現地のいかにも真面目そうなインドネシア人。英語はほとんど通じないが、身振りでこちらの要求をだいたい分かってくれる。ふと、このドライバーの人生はどういうものだろうか、と思う。マルクス・アウレーリウスは、「自分に起こることのみ、運命の糸が自分に織りなしてくれることのみを愛せよ。それよりも君にふさわしいことがありえようか」と(自分に向かって)言っているが、僕はこういうとき、他人の人生に思いを馳せずにはいられない。この平凡なおっさんのこれまでの人生、およびこれからの人生を考えずにはいられなくなるのだ。ひたすら車を運転し続ける人生。きっと家には妻子がおり、日々腰に負担をかけながらそれでも一家を養うために労働という単純作業をひたすらやっていく中で、おっさんなりの幸福や苦しみがあるのだろう。こういう人を見ると、自分よりずっと立派だなと思うときがある。そんなことは、僕にはできないだろうからだ。生まれた場所や身分には関係なく、僕にはそんなことはできなかっただろう。

 
 そのインドネシア人のおっさんを見ていると、ふとフランスで出会ったベトナム人のおっさんを思い出した。それは僕がまだフランスに行って間もない頃で、やっと自分のアパートを探し出してあちらでの生活も落ち着き始めた頃だった。ある日、街はずれをぶらぶら歩いていると、引っ越しをしているらしく家具やらベットやらが道端に投げ出されている通りに差し掛かった。その中に、黒革製のソファーがあり、どことなく目を惹いた。近くには大型トラックが停めてあり、投げ出された荷物が積み込まれていたが、どうやら話を聞いているとそこにある荷物は全て棄てられる運命にあるらしかった。しばらくすると引っ越しをする当人らしいおばさんが出てきて、引っ越し会社の人間にいろいろと指図をしていたので、「ここにあるものは棄てるのですか」と聞いてみた。案の定そうだったらしく、欲しいものがあったら持って行ってもいいとのこと。ちょうど部屋にソファーが欲しかったので、ソファーをもらうことにした。しかし、タダでもらったにしろ、それからが問題だった。というのも、僕の家は小高い山の中腹にあり、普通に歩いて上っても30分くらいかかる急な坂道だったからだ。そのソファーはそれなりに大きかったので、タクシーに積むこともできないし、自分で持って上がるのも果てしなく大変そうだった。そこで、考え倦ねていると、トラック運転手のベトナム人のおっさんが見かねて話しかけてきた。車を持ってる友達とかいないのか、と聞かれたが、当然いるはずもなく、結局自分で何時間もかけて持って上がらなければならないだろうと思っていた矢先、ベトナム人のおっさんが、「今日は4時半に仕事が終わるから、それまでここで待っていたら家まで乗せてってやるよ。」と言ってきた。4時半に本当に来てくれる保証はなかったが、他にどうしようもないので待つことにした。すると、4時半になると本当に来てくれた。そこで、どでかいソファーを大型トラックに詰め込み、曲がりくねった山道をひたすら上って行った。そのときに10分ばかり、そのベトナム人のおっさんと話をした。

おっさんの言うところによると、このおっさんは20歳の時に何の当てもなく単身フランスに来て仕事を見つけてから、それ以来ずっとベトナムの家族に仕送りをしつつ、25年もこちらで働いているということだった。こちらに来てからもずっと一人で、以来ベトナムには帰ったことはないという。話を聞いていると、妙に自分がみじめったらしく、弱い存在に思えてきた。大学という庇護の元にしかこちらにいれない自分の小ささ、無力さを感じた。このおっさんは誰も頼るべき存在のいない中で、ずっと一人でやってきたのだと思うと自分は何なのだろうかと思った。僕よりずっと貧しく、単調な生活をしているこのおっさんはそれでも、少しも卑しいところなどなく、終始笑っていた。埃でドス黒くなった顔が、夕日に照らされてオレンジ色に光っていた。その横顔を見て僕は、美しいと思った。そして、僕も美しくならねばならないと思った。


 2時間ほどのドライブの後、車は無事Bogorのホテルに到着し、そのまま各自寝ることとなった。日本の10分の1くらいの物価にもかかわらず、出張費は日本のホテルの値段が出るためか、僕はやたらと豪勢なホテルの二人部屋に一人で泊まることになっていた。ベットに横になって、なんとなく最近のことを考えていた。最近は、着実に進もうと思ってか慣性で生きていたなと思った。実際に、加速度的な人生は、経験こそ積めぞ、実力は身に付かない。キングサイズのベットに横になりながら、これが現在の僕のリアルなのだと思った。快適だが、つまらない。安定して知識を身につけているが、感動がない。以前は常に持ち続けていた人生のビジョンを、最近は見なくなっていた。特に無駄なことは考えず、ただやらなければならないことをやる。突然、人生は楽しまなければならないのだ、と思い至った。のろのろとしていて固化してしまったら、人生はあっという間に終わってしまう。何事も、全力でやらなければ意味がない。そして、求めて行かなければ始まらない。人生は明るく、希望に満ち溢れている。生が満ち溢れている!失いかけていた光を取り戻したら、それはもう、夢の中だった。