Lame | Memento

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Appleが27日にタブレット型PC「iPad」を正式発表した(http://www.apple.com/)。タブレット型のタッチパネルPCについてはiPhoneと同時開発していたのか、何年か前から毎年噂になっていたものの、ネットブックが市場を席巻する中Appleは、製品化するには「まだ完成度が足りない」として発売を見送ってきた。去年の3Gs発売以降iPhone市場も大分落ち着いてきたところ、Steve Jobsが無事手術を終えて復帰し、本格的に製品化に乗り出したらしいことは聞いていた。だが、これだけ毎年噂になって製品化に地団駄を踏んでいた割には、パンドラの箱を開けてみると実際はただの大きなiPhoneのようだ。OSもiPhone OS 3.2、正直Mac OS Xを期待していたので、これでは拡張性がなさすぎる。ディスプレイも有機ELディスプレイという噂もあったが、結局IPS液晶のディスプレイらしい(まあ、有機ELは現状ではまだかなり高いので、時期モデルに取っているのかもしれない。というか、普通にIPSで十分綺麗だが)。もう一つ期待していたのが最近Appleが買収したPA Semiによる、Apple独自のCPUプロセッサ。これは実際に搭載されていて、Apple A4プロセッサというらしいが、1 GHzで10時間の使用に耐える優れもの。動作もすごく早いらしい。時期iPhoneにも搭載されるだろうから、これは期待できそうだ。それと、もう一つの見どころは何といっても電子ブック。多分アップルが今年になって急いでiPadを製品化したのも、Kindleに電子ブック市場を独占させないためという理由も大きいだろう。実際は書籍の売り上げの70%はAmazonに入るらしいが、これからの主流となるかもしれないこの手のスマートな市場にAppleが乗り遅れるわけにはいかない。まあ機能面に関してはそんなところだが、一番驚いたのはその値段だ。下位機種が1000ドル前後と予測されていたにも関わらず、499ドルという低価格で出してきた。iPod touchよりちょっと出せば買える値段だ。これなら中途半端な使いづらいネットブックを買うより、メイン機の隣にiPadを置いて映画専用、またはメール専用のような形で使う方がよっぽど賢い。ただ、やはり位置づけとしては微妙な感が否めないし、今回これを買いたいとも思わない。iPhoneのように、一年後くらいに大幅にメジャーチェンジした型が出たら欲しくなるかもしれない。

最近はパソコンも驚くほど安くなったと思う。メモリも4GBくらいが普通になってきたし、それにプラスしてグラフィック専用メモリ(GPU)がついているくらいだ。クアッドコアも随分安くなったし、そうでなければクロック数3GHzくらいの機種が、それこそ数年前の半額以下の値段で買える。コアなゲーム好きなどではない普通のユーザーなら、どんな使い方をしても有り余るようなスペックだ。去年末に出たiMacの27インチモデルも、IPS液晶、Core 2 Duoの3GHz、メモリ4GB、ハードディスク1TB、新しいMagicマウスとキーボード付きで15万を切るくらいの値段で売られている。かなり物欲をそそられるスペックだ。DELLやACERの機種を買って自分でアップグレードすればさらに安く同じスペックを実現することはできるが、やはりMacのデザイン性と使いやすさ、クオリティは少し余分に払う価値が十分にあると思う。Mac OS Xもよく出来たOSだし、Macのモニターや音質は、外部周辺機器を取り付けなくても十分満足できるようなクオリティだ。今は17インチのiMacとポリカーボネートの黒いMacbookを使っているが、買ってから4年近く経つのでさすがに動作が緩慢に感じる時があるものの、それでも十分使えるといえば使える(Macbookに関しては、メモリが異常に安くなっていたときに4GBに増設し、ハードディスクも500GBにした)。フォントもWindows機よりもずっと綺麗で、研究室ではDELLのWindows機を使っているが、なんだかんだと創作活動をする気になるのはMacを使っている時だ(これはモニタの性能によるものだが、DELLのノートパソコンはモニタの解像度が悪すぎて、Webページなど読んでいるときに目が痛くなる。このブログに書いている斜体字も、DELLのモニタからではすこぶる見にくかった)。

最近はハードディスクもアホみたいに安いし、4GBのSDHCカードが980円くらいで売っていたりする。時期SDカードの規格として開発されているSDXCは、最大2TBまでの容量、300MB/sの転送速度を実現できるらしい。ここまでくると、そのままSSDとして使いたいくらいだ。テクノロジーは日々世界中で開発が進んでいて、1年くらい目を離していたら驚くほど進歩している。開発速度が早くなればそれだけ、それについていくことが難しくなり、理解している人は減っていくだろう。テクノロジーの流行に追随していることがすごいわけでもなんでもないのだが、世界中の人間がどんどん自分たちがしていること、使っているもの、利用していることを理解できなくなり、周囲がブラックボックスに溢れてしまうのは忌むべき事態だ。自分が使っているものがどのような機構で動いているのかを知らないというのは、社会の中でも、かなり文明が発達した段階でのみ起こりうることだろう。そこでは、人は周囲の物事に無関心になり、注意を払わなくなる。環境問題なんて言いつつ、地球の環境機構を知っている人というのはほとんどいない。そこで思うのは、このような周囲のものとの有機的なつながりの欠如は、結局人生を豊かにするのとは真逆の方向性を持っていないだろうか。開発が進めばそれだけ、生活が便利になればそれだけ自分の生活というのは地に足ついたものではなくなり、自分一人では何もできなくなってゆく。それは幸福とは無縁のものであるだけでなく、むしろ逆のベクトルを持ったものだ。Appleの製品はユーザーと製品技術の乖離をなくすように、努力を尽くして(拡張性を犠牲にしてでも)誰でも簡単に使えるような性質を持っている。生活の質というものを念頭に置いているからこそのクオリティだ。しかし、それは日常の中での擬態にすぎず、結局ユーザーがその技術に追いついているわけではない。加速する技術革新の中で、人の生活、精神構造の方が遅れをとり、自分で生み出した子供に追いつけない足が悪い大人のように、技術がそれ自体で発達していく。足の悪い人間は、技術の発展についていけなくなり、置いていけぼりになるだろう。30年後の技術状況なんて、正直全く想像ができない。人間生活と技術の発展との因果な関係は、一体これからどうなってゆくのだろうか。Steve Jobsがプレゼンテーションを終えてBob dylanの"Like a rolling stone"と共に去っていくのを見ながら、なんとなくそんなことを思った。


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