読書はワタシの趣味の一つです。いや、でした、と過去形にするべきかもしれません。ワタシは出歩くときには必ずと言っていいほど、文庫本を持ち歩きます。持っていないときはわざわざ買ったりします。ですが、その本を広げたとして、ストーリーなり内容なりが頭に入ってくることはほとんどありません。
ワタシの脳がおかしくなってから、記憶力、集中力、思考力などが極端に低下してしまい、子供のころから大好きだった、本を読むことができなくなってしまったのです。読んでいても頭に入ってこない。気が付くと同じページを何度も読んでいる。読み続けることができない。総じて面白くない。
最近古書店のセールで、前から読みたかった村上春樹の『1Q84』を安く手に入れました。全巻そろっていて状態も良かったし、そもそも村上春樹の本は古書店ではあまり見かけないのです。入荷するはしから出ていくのでしょう。
そんなわけで、文庫で全巻そろえたのですが、読めません。すごく時間がかかっています。このぶんではたぶん読み終えることができないでしょう。読み終えたとしても、時間がかかりすぎて、最初の方に何が書いてあったのか思い出せないなんてことになりそうです。
それではワタシは、なぜ本を買うのか。
心理的には、この本はきっとものすごくおもしろくて、わかりやすくて、理解力が落ちているワタシにも読めて、本を読む面白さを取り戻すことができるのではないか、という期待があります。しかしながらこの期待はかなりの確率で裏切られます。『1Q84』もきっとすごく面白いはずなんです。ワタシの頭がついていけないだけなんです。そんなに複雑な文章ではないのに理解できないワタシの頭がどうかしているんです。
ワタシが本を買うもう一つの理由は、こちらも心理的でないわけではないのですが、本を楽しむという目的とは遠くかけ離れています。
「他人から話しかけられないこと」
これがワタシが本を読む、あるいは膝の上で広げている理由です。
人は、何かに夢中になっている(ように見える人)には声をかけにくいものです。ワタシは一人になりたいとき、電車を待っているとき、病院の待合室にいるとき、他人から話しかけられないためのツールとして本を広げています。
そのための本はいつも同じでもいいのですが、やはり少しでも楽しい方がいいので、読んだことのない本を選びます。それがわかりやすくて面白い本ならその方がいいからです。
でも、いずれにせよ、ここ数年読書を楽しめていないのは事実です。
わかりやすくて面白くて、短くて、印象的な、そんな、そう、革新的な本の登場を心から願っています。