※5/1、「The National Trust for Historic Preservation」(アメリカの多様な歴史的建造物、地区、遺産の保存を支援することを目的として、議会憲章に基づいて 1949 年に設立された民間資金による非営利団体)は、「2024 list of America's 11 Most Endangered Historic Places」(アメリカで破壊や修復不可能な損壊の危険にさらされている11の歴史的場所の2024年リスト)を発表しました。

 「アメリカの最も危険にさらされている11の歴史的場所のリスト」は1988 年から毎年発表されていますが、現在までに350以上の場所を指定することで、その歴史的価値の維持に向けた機運を高めることに貢献し、そのほとんどが損壊の危機を免れているそうです。

 今回発表された2024年リストには、ロサンゼルスのダウンタウン地区にある「リトルトーキョー」が指定され、日本国内でも注目を集めています。

 リトルトーキョーは、明治18(1885)年にチャールズ・カメという元水夫(漁民説あり)がロサンゼルス通りの一角にレストランを開いたことが始まりだと言われています。

 明治39(1906)年のサンフランシスコ地震によってサンフランシスコ日本人街が壊滅し、人々は南に移住したため、ロサンゼルスの日本人人口は急増。
 その後も日本人社会は大きくなり続け、昭和15(1940)年にはロサンゼルスに3万人超(アメリカ全体で11万人)の日系人が暮らしていましたが、日米開戦によって太平洋沿岸から立ち退きを余儀なくされ、強制収容されることとなります。

 不在の間に荒らされた街並みや建物は老朽化が著しく、以降、スラム化が進んでいきます。

 後に、リトルトーキョー復興のきっかけとなったのは、昭和36(1961)年、住友銀行が鹿島建設に対して、リトルトーキョーにある都ホテルの取得を持ち掛けたことに始まります。

 当時の鹿島守之助会長は、リトルトーキョーの再興を英断。

 その時、ロサンゼルス市は、隣接するシビックセンターを拡大するため、既にリトルトーキョーの一部を接収。
 さらにリトルトーキョーを取り壊し、日系住民9千人を移動させる計画でした。

 守之助会長は、老朽化した都ホテルを取得し、それを核に再生を図る再開発マスタープランを速やかに作成して市当局に提示。
 結果、リトルトーキョーの存続が決定したのです。

 1989~1990年にロサンゼルスで暮らしていた私は、当時、この話を知ったのがきっかけで、「都市再生」に強い関心と意欲を抱きました。
 結果、大学卒業後は、鹿島建設に就職することとなります。

 私がロサンゼルスでの生活を始めた当時はメトロレールが開業前でしたので、キャンパスに通うにも、買い出しに行くも、個人売買で入手したポンティアックが頼りでしたが、紀伊國屋書店やヤオハンがあるリトルトーキョーにも良く出掛けたものです。


 約140年の歴史があるリトルトーキョーは、アメリカに残る4つしかない日本人街の1つで、ロサンゼルスで最も古い地区の1つです。

 現在、大規模な開発や交通プロジェクトによって、その存続が危険にさらされているとの今回の報に触れ、懐かしくも寂しくもある中、今一度、リトルトーキョーを訪れたいと思いました。


*4/29・30 知立まつり稽古上げ
(人形連(西町はからくり連)と囃子連の皆さんが約1か月間に及ぶ稽古に励み、その成果を披露戴きました。

 4/29は4ヵ町(山町、宝町、西町、本町)にて稽古上げがあり、限られた時間内で足早に各町を巡り、まず、山町さんでは人形連による賑やかに楽しい寿式二人三番叟、続く宝町さんでは人形連による新外題にもかかわらず完成度が高い団子売り、引き続く西町さんでは囃子連による堂々とした松竹梅や神舞、最後の本町さんでは囃子連(小若)による可愛らしい演奏を拝見し、翌日4/30の中新町さんでは囃子連による力強い演奏から、梶棒方による二人三番叟、人形連による鎌倉三代記(三浦之助母別れの段)まですべての演目を拝見し、それぞれの素晴らしい仕上がりに感動しました。

 いずれも各町特有の趣がありますが、おまつり当日はこのお囃子によって町内の雰囲気が盛り上がり、巡行中には意気揚がる屈強な梶棒連の山車捌き、神社境内に宮入り後には人形連(西町はからくり連)の文楽とからくりが多くの観光客の皆さんを魅了します)

山町
 

宝町
 

西町

 

本町

 


中新町

*5/1・2~3 知立まつり
(6年ぶりとなる本祭りが開催されました。

 5/1には宝町、5/2~3には5ヵ町(山町、中新町、本町、西町、宝町)が山車を巡行し、大いに賑わいました。

 コロナ禍による中止が続いたせいで、お囃子の稽古など伝統芸能の伝承が危ぶまれる中にあって、見事、今年は本祭りが正規開催されました。

 知立まつりも御多分に漏れず、担い手や資金の不足が顕在化しており、知立市行政に対しては、貴重な観光資源として誘客を図ることはもちろんのこと、文化財の保存や伝統継承の観点からの積極的な支援を促したいと思います)

山町
 


本町


中新町


西町


宝町

宮入後
 

柴田事務所前
 

中新町

 

本町

 

西町

 

宝町

 


山町

宮入後


*5/3 知立神社例祭
(知立まつりの神事が厳かに斎行され、謹んで参列しました。

 その後、各町の山車が勇壮に境内に奉納され、開催を楽しみにしていた多くの観客の皆さんで大いに賑わいました。

 梶棒の皆さんが人力で山車を担ぎ上げて回す姿、その意気を上げるお囃子の皆さんの演奏、山車を町曳きする住民の皆さんの大群は、いずれも勇壮でした。

 また、当日の境内では、かつて知立市行政の要職(副市長、企画部長など)を務められた先輩方複数名に久方ぶりでお会いすることができ、昔話に花が咲きました。

 話題は今年11月予定の市長選に及び、先輩方から様々示唆に富むご意見を頂戴し、力強く激励いただきました)

 



→ ドリームマルシェ
(知立駅前に暫定整備されている広場にて、賑やかにマルシェが開催されました。

 知立まつりの巡行行列が通り過ぎる様子を多くの家族連れの皆さんが興味深そうに見つめていました。

 これまで、5ヵ町(山町、中新町、本町、西町、宝町)のまつりの域を出ず、担い手や資金の不足問題が付いて回る中、市域全体で関わり、盛り上げるまつりに発展させていく仕掛けが必要だと実感します)

 



*5/5 一人茶会
(萬屋店主の村瀬さんを中心に在原寺にて開催された茶会に出掛けました。

 在原寺を再興したのは方巌売茶翁であり、その功績を称えるための茶会が今回で14回目を数え、境内に8席の茶席が設けられ、賑々しく催されました。

 八橋出身の村瀬さん曰く、昔は農作業の合間にあぜ道で抹茶を点てて楽しむ文化(野良茶)がこの地域にはあったそうであり、畑と木々に囲まれた茶席でその当時の様子に思いを巡らながら、美味しいお茶をいただき、楽しいひと時を過ごせました)

 

 


 

#リトルトーキョーを近代化して日本人の生活圏を擁護しその四散を防止することは急務中の急務

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