※1/1、石川県能登半島を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生しました。

 現在に至り、能登半島では新たな被害が刻々と明らかになっています。

 この間の政府の震災対応に関して、国民の声の中から、被災者支援のために2023年度予算予備費からの支出金額決定、あるいは、被災地対応に当たる自衛隊の展開、加えて、激甚災害指定について、「初動対応が遅いのではないか」という意見があることに対して、岸田首相は「決して少ないということはない。あくまでもこれがスタートであり、今後予算の制約を感じて対応に躊躇するなどということはあってはならない」と語りました。

 そして、政府は、能登半島地震からの復旧・復興に対応するため、新年度予算案に盛り込まれた予備費について、現状の5千億円から1兆円に倍増させる方向で検討に入り、1/16にも閣議決定する予定です。

 復興の大方針を政府が示すのは当然ですが、復興事業を実質的に支えるのは「民の力」であることもまた確かです。
 そのことは、約90年前の関東大震災の際の渋沢栄一の行動から学ぶことができます。

 1923(大正12)年の9/1、マグニチュード7.9の地震が関東地方を襲い、直後に発生した火災と津波などによって約10万人の犠牲者が発生しました。

 この時、渋沢はすでに83歳でしたが、被災民とともに東京にとどまり、豊富な経験を生かして「民の力」結集し、震災復興に挑戦することを宣言します。
 「こういう時には、いささかなりとも働いてこそ、生きている申し訳が立つようなものだ」
 そして、渋沢は瞬時に、一刻を争う緊急の課題から、中長期(1~10年程度)の復興計画までを視野に入れ、行動を起こしたのです。

 自らも被災した渋沢は、地震が発生した翌9/2、内田臨時首相、警視庁、東京府知事、東京市長へ使者を送り、被災者への食糧供給、バラック建設、治安維持に尽くすように注意を与えます。

 そして、政府の体制と震災復興の大方針が固まるのを見て、「民の力」を結集して素早く対応するための組織・体制作りを開始します。
 協調会を活用し、罹災者収容、炊き出し、災害情報版の設置、臨時病院の確保など「官」では手が回らないきめ細かい対策を迅速に実行していきます。

 加えて、救済事業資金調達のため、大震災善後会の創設し、国内だけでなく、アメリカの実業家との人脈も駆使し、資金の援助を呼び掛けて集まった義援金は、孤児院や労働者のための託児所の設置・再建補修、被災外国人への支援など多くの事業に充てられました。

 何より、渋沢は、救護活動の現場にこよなく足を運び、励ましの言葉を忘れずにかけていたそうです。
 論語を人生の指針としてきた渋沢は、人々が平和な生活を取り戻すためには、「物質の復興」の根底にある「精神の復興」が不可欠であると考えました。
 震災復興の長期的な目標は、徳のある社会を作り出すことであり、物質と精神の復興がなされてこそ、人々が安心して日常生活を送ることのできる社会になると考えたのです。

 今回の能登地震からの復興においても、「民の力」が結集し、政府を後押ししながら、責任ある行動を起こすことが求められています。

*2022/1/1
(令和6年が始まりました。

 甲辰の今年は、干支に相応しく、急速な成長と変化を誘う一年でありますよう、お祈りいたします。

 元日は知立神社にて、歳旦祭が斎行され、新年を寿ぎつつ、すべての皆さんの健康と平和をお祈りしました。

 境内では早朝から多くの人出があり、参詣に訪れた大勢の皆さんと新年の挨拶を交わすことでき、激励いただきました。

 久方ぶりにお会いする皆さんの姿や佇まい、交わした会話の内容から、過ぎ行く時間の早さを実感しました。

 参詣者は一人や大人数、家族や友達など、祈願内容は家内安全や商売繁盛など、おみくじ結果は吉や凶など、まさに人それぞれです。

 人生で多くの異なった経験をして、その人なりに導かれた考えや正義を持っていますが、そうした色んな経験や価値観を持つ皆さんとの出会いによって、新しい刺激を受け、今までとは違うものに関心を寄せたり、違う考え方ができることはありがたいことだと実感します。

 価値観の違いをきっかけに、新しい世界を開く一年としたいと思います。

 元日から3日間の日中の天気は快晴で温暖であった一方、1日、能登地方で震度7の揺れを観測する地震が起きました。

 死亡者や負傷者も発生し、家屋の倒壊や火災など、多大な被害が及んだ模様であり、一刻も早い救難救助や復旧復興を願いたいと思います。

 ここに改めまして、今年一年もすべての皆さんが無事に過ごされますよう、お祈りいたします)

 


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→ 歳旦祭
(知立神社にて歳旦祭(新年を祝い、皇室の弥栄と国の発展を祈るとともに、氏子崇敬者と地域社会の平和と繁栄を祈るお祭り)が斎行され、参列しました。

 本殿内での神事でしたが、寒気で満たされ、身の引き締まる思いでした。

 新型コロナの影響で中止されていた「年の始めのためしとて」で始まる「一月一日」を参列者全員で歌いました。

 当日は早朝から、多くの参拝者が列をなして元旦参りに訪れられ、馴染みの皆さんとの久しぶりの再会を喜び合うことができました。

 今年もすべての皆さんにとって素晴らしい、上り調子の一年となりますようお祈りしました)

→ 知立神社亥子会新年会
(昭和58~59年生まれの厄年会の皆さんと賑々しく新年を祝いました。

 大晦日から元日に掛けて、知立神社での振る舞いを無事に終えられた皆さんは少々疲れ気味でしたが、同年同士、積もる話に花が咲いていました。

 また、皆さん一様に、愛知県が進める知立駅高架化をはじめ、中心市街地の変わりゆく姿に関心が高く、私からは、県と市の責任範囲の違いやそれぞれが担う事業の進捗などについて、詳しくお話ししました。

 これから更に責任ある立場で活躍されることとなる皆さんには、ご家族様併せての健康と、出会った友人との絆を大切にされるよう、激励の言葉を送りました)

 



*1/4 御用始め

(官公庁における令和6年の業務は本日が始まりです。

 関係各局にご挨拶しました。

 特に、正月三が日に出会った皆さんから、知立市に対する陳情や苦情の相談を沢山承ったので、各案件の現場を確認の上、望まれる対応を立案して各局に伝達し、改善要望しました。

 いずれも、知立市に対して、住民の皆さんが個別に陳情している案件なのですが、対応がなおざりになっているとのことであり、事実経緯の確認と、対応遅延理由を問い質すとともに、早期の改善対応を要望しました)

1/7 はたちの集い
(民法では成人年齢が18歳に引き下げられましたので、これまでの成人式は「はたちの集い」として20歳のお祝いとして開催する自治体が多いようです。

 新型コロナの影響で分散開催されていた式典が、久方ぶりに一堂に会して行われました。

 会場に溢れる新成人の皆さんの凛とした姿に清々しさを感じました。

 自主企画を盛り上げる実行委員会の皆さんは、舞台度胸があり、話術も巧みで、今時の若者の逞しさを感じることができました。
 そして、何より、楽しかったです。

 新成人の皆さんに壇上からご挨拶する時間は得られませんでしたが、ここで一言申し上げます。

 「成人とは、人に成る」と書くように、自立した人間に成長され、頼もしくご活躍されますよう期待いたします。

 また、常に、ご両親や周りの人に感謝する気持ちを忘れず、一歩一歩着実に歩みを進め、幸せな人生を送られるようお祈りします)

 

 

 

 

 

 

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