※今週も陳情対応のほか、県議会対応で足早に1週間が過ぎました。

 

 4/29金曜日から10連休のGWという方もいらっしゃる中、エッセンシャルワーカーの皆さんには我々の生活基盤を守るため、連休中も様々な現場にてご尽力いただいており、心から感謝申し上げます。

 

*4/25 議員連絡会

(5/27の臨時県議会を前に、新年度の常任委員会および特別委員会の所属に関する調整など、議会事務局担当者と協議しました)

 

*4/27 知立市市街地整備事務所

(5/12の愛知県に対する知立市からの新年度建設事業に係る支援要望会合に先立ち、知立市都市整備部からその内容についてレクがありました。

 

 ちなみに、これまでの要望内容として直近では、逢妻町道瀬山地内の県道豊田知立線歩道設置などの実施済み事業や、谷田町宝土および北屋下地内の谷田交番前交差点右折帯設置(県道安城知立線拡幅)などの現在施工中事業が数多ある一方、複雑な用地補償交渉を要する事業については大幅な費用と時間を要することから、B/C(効果/費用)を勘案しながら優先順位を付けながら事業着手できるよう、引続き力を尽くしたいと思います。

 

 なお、愛知県内最大級の施工金額を誇る、県施工の知立駅付近連続立体交差事業や幹線道路整備については、事業の専門性に鑑み、愛知県職員を知立市都市整備部に次長として配置し、加えて、愛知県知立建設事務所内には鉄道立体課を設置し、課長を含めて4名を配置するなど、事業完成に向けた人員体制を強化しています)

 

 

 

*4/29 在原業平毎歳忌

(伊勢物語に登場する業平朝臣の法要が行われました。

 

 

 平安時代の歌物語で作者不詳の「伊勢物語」の第9段には、有名な説話の「東下り(あずまくだり)」があります。

 主人公である男が、三河の国の八橋という場所に至って休息を取る中、橋のほとりに咲く「かきつばた」を見て、その5文字を各句の頭にして「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ」と詠んで涙するという物語です。

 この「東下り」の主人公である男が在原業平であるとされていますが、実は、業平が東下りをしたという事実を示す文献等の証拠がなく、説話に登場する八橋の現在場所も明らかではありません。(その推定地として、現在の知立市八橋と豊田市駒場町の間を流れる逢妻川付近の沖積低地と伝えられている)

 

 

 

 ちなみに、江戸時代中期の工芸家・画家である尾形光琳の代表作として有名な「八ツ橋図屏風」と「燕子花(かきつばた)図屏風」は、伊勢物語の第9段「東下り」に登場する八橋の説話を題材にして描いたものと考えられており、光琳が八橋を訪れたことはありません。

 

 それにもかかわらず、「八橋山無量壽寺」(奈良時代の慶雲元年(704年)創建。当時は東海山慶雲寺と称する。弘仁12年(821年)密円が無量寺と改め、現在の豊田市駒場町の慶雲寺廃寺跡から現在地に移転させ、真言宗寺院として整備するも、度々の火災による衰退と復興を繰り返す。室町時代の延文5年(1360年)臨済宗の僧である恵玄が中興し、江戸時代の宝永8年(1711年)にいたり、同宗妙心寺派となる。明治時代以降には無量壽寺と改め、現存する本殿は大正時代に建立された)のかきつばたや業平が地域の人々に伝説として生き続けてきたのは、文化2年(1805年)に八橋に入った方巌(八橋)売茶翁によって寺や池が再興され、以降、寺内に伊勢物語の業平ゆかりのものが建立され、今に至っているからだと考えられます。

 

八橋山無量壽寺

 

 売茶翁は上洛の折にか、業平ゆかりの寺である「紫燕山在原寺」の荒廃した姿を目にし、その再興のため数年にわたる全国勧進の旅を敢行して、無事に寺の再興を果たしましたが、その後、無量壽寺に入り、かきつばたが咲く煎茶式庭園である「心字池」を整備したことから分かるように、今に至るまで、伊勢物語ゆかりの地とする八橋とかきつばた池が残存するのは、正に売茶翁の功績が大きいと言えます。

 

 

紫燕山在原寺

 

 

 

 

 ちなみに、寺内に存在する業平ゆかりのものとしては、まず、本尊の聖観音像については業平の作と伝えられ、その両脇に業平像、業平の両親像が安置されています。

 更に、境内には古い宝篋印塔があり、業平を恋慕って後を追って八橋で追いついたものの、つれなくされた悲しみの余り、池に身を投げて亡くなった杜若(かきつばた)姫の供養塔であると伝えられています。

 

 

 

 このように、伊勢物語の伝説地である八橋に現存する無量壽寺(あるいは在原寺)やかきつばた池などを復興した史実に基づいて考えれば、既報で触れた長線や今に継がれる煎茶道など同様、方巌売茶翁の功績は非常に大きく、その価値ある歴史を深く掘り下げて守り継ぐとともに、市内外に広く知らしめるべき観光資源であることは言うまでもありません。

 

 なお、現在(4/23土曜日~6/5日曜日)、刈谷市歴史博物館において、企画展「伊勢物語とかきつばた」が開催中(かきつばたが刈谷市の花であることから企画された)です。

 

 京都国立博物館所蔵の絵巻や注釈書、東京国立博物館所蔵の絵画や工芸品など約50点が展示されており、さすがに見応えのある内容となっています。

 会期中には、大学教授による講演会や、学芸員による講座やギャラリートーク、展示説明会など盛りだくさんのイベントも企画され、図録の販売もされるなど、刈谷市の企画力と取組姿勢には感服します。

 

 

 

 一方で、知立市の取組については、以前、知立ロータリークラブさんが創立30周年事業として「KORIN(尾形光琳)プロジェクト」を開催され、米・ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵の「八橋図屏風」や、東京・青山の根津美術館所蔵の「燕子花図屏風」の高精細複製品ほかを展示された際にも痛感しましたが、市が率先して自ら企画することはせず、伊勢物語の八橋やかきつばたに対する市の向き合い方は、それらを本心から誇りと考えているのか疑わしいものであり、極めて軟弱な姿勢であることに嘆嗟の声が出ます。

 

 奇しくも、現在(4/16土曜日~5/15日曜日)、先述の根津美術館が毎春企画する、国宝「燕子花図屏風」を鑑賞することができる(コロナ禍で3年ぶりのお披露目)特別展が、今年は「燕子花図屏風の茶会」と題して開催中です。

 

 光琳作と伝わる「伊勢物語」を着想源に在原業平を描いた「業平蒔絵硯箱」も展示されており、見どころ満載の展示会となっています。

 

 

 刈谷市歴史資料館や根津美術館のように人を惹きつける魅力の掘り起こしと発信が、知立市の観光事業には欠落しており、市行政には、観光事業だけでなくあらゆる事業に対し、際立った発想と積極的な姿勢を引続き強く求めたいと思います)

 

 

 

 

 

5/1 白圭社書法篆刻展

(知立在住の丹羽常見先生(知立市文化賞受賞者)率いる篆刻研究団体である白圭社門下の皆さんの作品展に出掛けました。

 

 白圭社は、丹羽先生主宰の求索社と小坂克子先生主宰の瓊琚印社の合同団体として2012年に発足され、以降毎年、展示会を盛大に開催されています。

 

 篆刻とは、広義では落款などに用いる印章を彫ることを言いますが、印に刻す文字に主として篆書が使われるため篆刻と呼ばれるそうです。

 

 篆刻自体、印影や印材を含めて独立した作品であり、様々な書体や形態は見るものを惹きつけます。

 

 今回は、洪自誠(中国の明代末期に優秀な官僚として活躍後、政争に巻き込まれて隠遁したと推測される人物)が著した「菜根譚」の名言を各々、書や篆刻、あるいは絵で表現された掛け軸や額が出展されており、作者の皆さんの独特繊細な作品に見入るとともに、人生の辛酸をなめた洪が深刻に開陳した人生訓に深く思いを致すこと、時間が経つのを忘れるほどでした)

 

 

 

 

#黄金週間

#愛知県市町村土木事業費補助金

#伝説

#史実

#刈谷市歴史博物館

https://www.city.kariya.lg.jp/.../ise-kakittsubata.html

#根津美術館

https://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

#白圭之玷尚可磨也

#斯言之玷不可爲也