10/28 知立南中学校体育祭
(清々しい秋晴れの下、南中生徒の皆さんは出場競技で持てる力を懸命に発揮していました。保護者の皆さんの声援も高らかに体育祭を盛り上げました。生徒さんが仲間にエールを送る様子は真剣そのもので、”頑張ってほしい”という仲間への期待を純粋に声や身振りに乗せていました。この時この場所で共に汗をかく仲間を大切に思う心に感動しました)


 

 → 知立中学校体育祭
(照り付ける日差しの下、知中生徒の皆さんはな仲間への応援と自身の出番に張り切っていました。保護者の皆さんの期待の声も熱く運動場のムードを盛り上げました。出場競技に得手不得手がある中で、出場選手は自信と不安の綯い交ぜの気持ちを淘汰して、最期まで力を振り絞っていました。自分の役割をしっかりとやりきる生徒さんのたくましさに感動しました)


 

10/30 みよし柿カレー
(近隣のみよし市で名産の柿と地元産素材が沢山入った”みよし柿カレー”をいただきました。https://ricapurio.wixsite.com/miyoshikakicurry
東郷町のいこまいカフェ@イーストプラザいこまい館にて、カレー弁当とカレーピラフ弁当にジャンボ牛肉コロッケを購入。みよし高校や豊田西高校の購買メニューとして好評なとおり、とてもおいしかったです。宅配無料で定期便もやっているそうなので、さっそく頼んで見ようと思います。地産地消=地域生産・地域消費の良さは、生産と消費のつながりが目に見え、地域の伝統的な食文化を知り、安心して食することができることにあります。地元愛から生まれた”みよし柿カレー”を応援したいと思います)

みよし柿カレー

みよし柿カレーピラフ

牛肉コロッケ
 

10/31 八ツ田小学校教育研究発表会
(平成30・31年度に知立市教員委員会から教育研究を委嘱された指定校によって研究成果の発表が行われました。今回の研究主題は”自分が好き、仲間・学校が好き、地域が好きな子どもの育成-「学級力向上」を基盤とした「あたたかい授業」を通してー”。八ツ田小では、子どもたちの自己肯定感を伸ばし、自ら課題を見つけ、自ら解決に導く力を育てる取組を各授業の中で工夫されていました。授業風景は、子どもたちがいきいきと学び、分かる喜びを感じながら授業を楽しんでいる様子に感銘を受けました。また、その授業風景を食い入るように見つめる他校の先生方にも感心しました。先行きが見通しづらい世の中にあって、子どもたちには人生の道のりを自らたくましくしなやかに歩んでもらいたいと期待する一方、その実力を育む場としての学校現場にもっと予算と工夫を加えていきたいと思います)

 

 

 

11/1 小学校音楽会
(小学生の皆さんによる合唱コンクールが行われました。どの学校も威風堂々と舞台度胸が満点であり、そのハーモニーも心に響き入る素晴らしい歌声でした。ハーモニーはそもそも古代ギリシアに淵源し、ギリシア語の”harmonia”は大工仕事で建材の各部をたがいに嚙み合わせてぴったり接合することを意味しています。子どもたち一人ひとりが、舞台に立つ機会に感謝し、声色・声量と気持ちの調和を目指す謙虚な姿を目の当たりにして、さらに心が揺さぶられました。かつて松下幸之助=現パナソニック創業者は、”ありがたく考える。縁のあったことを謙虚に喜びあう”と言い残し、人間の徳の根本を説いています。私も“物をつくる前に人をつくる”という幸之助翁の言葉に倣い、子どもたちの人としての教育に力を入れていきたいと思います)

 

 

11/2 第13回わくわくウォーキング
(逢妻町の丸坪公園から出発して、三河新四国霊場第三番札所の密蔵院へ、その後は金山揚水(=逢妻男川と逢妻女川は合流して逢妻川となり、合流部の標高は約5メートルで、合流部の北側にある金山地区の標高は約15メートルであるため、当時はたいへん水に乏しかったことから、合流部付近で川をせき止め、蒸気機関による揚水機を設置して、金山地区を灌漑した)跡地を経由して、ゴールは再び丸坪公園までの約3.8キロコースを2時間掛けて歩きました。逢妻川は生態系の豊かな河川で、かつて和田栄作=洋画家/東京美術学校長は知立疎開時代にその風景を描いています。現在、県管理の2級河川である逢妻川は、豪雨時に避難判断水位に到達することが度々あり、避難準備情報が発令されるなど、地域住民の皆さんの心配の種となっています。そうした中、逢妻大橋付近の流下阻害要因を調査分析し、繁茂する根笹の伐採や堆積土砂の浚渫などの対策を適時講じていますが、今後も河川と暮らしを共にする住民の皆さんの様子と気持ちに寄り添いながら、河川の管理を行ってまいります)

 

丸坪公園

密蔵院

金山揚水跡

 

→ 岡崎ジャズストリート2019
(大好きなジャズを聴くために岡崎城周辺を散策してきました。会社員時代に赴任先の仙台では毎年、ケヤキ並木の定禅寺通り辺りで”定禅寺ストリートジャズフェスティバル”を楽しんでいましたが、近隣の岡崎市でも毎年素晴らしい演奏をそこここで気軽に聴くことができます。友人のミュージシャンの演奏に癒され、趣の異なるトップアーティストの演奏に感激して時間が経つのを忘れてしまいました。当日オープンした、東岡崎駅とペデストリアンデッキでつながる乙川沿いの”OTO RIVERSIDE TERRACE"にも立ち寄り、デッキ上の”徳川家康”像と乙川の景観を満喫できる飲食店に魅せられながら、心地よい演奏を満喫することができました。この”おとがわプロジェクト”=乙川リバーフロント地区まちづくりを進める岡崎市長の内田康宏さんは愛知県議から転身され、この間、岡崎市民会館のリニューアル、愛知県がんセンター愛知病院の岡崎市民病院への移管、藤田医科大学岡崎医療センターの誘致などを進めてこられ、乙川周辺の大規模整備は公民連携プロジェクトとして、中央緑道=”天下の道”と籠田公園、乙川河川敷の整備、人道橋=”桜城橋”の新設などを具現化しており、市民と積極的に対話し民間の力を引き出しながら事業を進めています。知立市においては”100年に一度のまちづくり”と銘打つ事業を進めていますが、公民連携=市民の皆さんと向き合って思いを引き出し具現化する取組でなければならないと強く感じました。”人を知らんと欲せば、我が心の正直を基として、人の心底を能く察すべし。言と形とに迷ふべからず” By 徳川家康)

 

 

 

 

11/3 八劔社秋季大祭
(地元神社の大祭に参列しました。氏子、町内会、厄年会の皆さんのご尽力に感謝しながら、地域の発展と住民の皆さんの幸せをお祈りしました。午前の神事は子どもたちの優雅な巫女舞が雅楽に合わせて奉納されるなど厳かに斎行され、午後の餅投げでは境内を埋め尽くす参拝客の皆さんが歓喜しながら福餅を受け取っていました。改めて皆さんの無病息災をお祈りし、この地の悠久の歴史に思いを馳せながら、お餅をお配りしました。ちなみに重原はかつて刈谷藩の領地でしたが、寛政の一揆によって刈谷藩が幕府から村替えの処分を受けて重原村など18か村を奥州の福島藩領・幕領の一部と交換されることとなり、以来福島藩が重原に陣屋をおいて郡代が三河の飛び地を治めることとなりました。その後、戊辰戦争によって福島藩が新政府に反抗したことから罪に問われて2,000石を減封、福島城付地没収の処分を受けたうえ、代わって家督を継いだ板倉勝達が三河国内にあった福島藩飛び地に移封され、福島藩旧領と上総国内にあった所領とを合わせて2万8,000石の藩主として重原藩を明治2年に立藩しました。このように重原藩は福島藩が前身で、江戸時代にその飛び地であった重原領を中心とした地域が重原藩領となったのであり、福島藩=現在の福島県福島市とは深いゆかりがあるのが分かります。のちに愛知県議会議員となる内藤魯一も福島藩出身であり、内藤家が譜代大名である板倉氏の代々家老職であったために重原藩に転封され、藩大参事として藩政の立て直しに参画したのがこの地とのかかわりの始まりです。魯一翁の功績は数知れず、板垣退助らとともに明治の自由民権運動に奔走したことは有名ですが、積極的に行政改革や地域開発に取り組んでおり、茶や桑の栽培、明治用水の開削、安城農林学校の開校、名古屋港の開設、東海毎日新聞の創刊に力を注いだこの地を代表する偉人です。再来年には没後110年を迎えるにあたり、その偉業を偲びながらしっかりと地域の発展に全力を尽くしてまいります )

 

 

 

文化祭
(弘法区と西中町に伺い、秀逸な作品群に目を引かれました。両町ともに皆さんから温かいおもてなしをいただきました。印象的なのは、女性陣が元気で明るく分別のある方々ばかりということです。作品の出来栄えも、それぞれに時間を掛けながら気持ちを込めて作られており、作者の個性がにじみ出ていて、その魅力に心が明るみます。併せて、居合わせた作者にお話を伺うこともでき、人物像に新たな発見があるのも楽しみのひとつです。実際に見て、話して分かることが多いことを改めて実感します。また、各町の皆さんからは地域の課題について数々要望をいただきましたので、さっそく対策を講じます)

 

 

 

 

 

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