5月某日。
リスボンに退屈した私は、絶対に行こうと決めていたナザレという海辺の町へ向かうべく、高速バスのターミナルへ。
バスには「NAZARE」というオレンジ色の電光表示。リスボンから高速バスで2時間くらいという情報は、例によって『地球の歩き方』により得ていた。
初めて乗るポルトガルのバスは、日本のバスに劣らずキレイ。ベトナムのバスみたいに、前後の座席の間が極端に狭くないし、ウクライナのバスみたいに埃っぽくも無い。実に快適だった。
乗車券には座席番号が記載されていたけれど、バスの前部に8人ほど集中しているだけで、後部座席はガラガラ。
バスが出発すると、私は一番乗りで、広々とした空席に移った。
リスボンを抜けてからは、緑色の畑風景が広がり、遠くのほうに、低い山が時折見えた。
アジアの風景とは明らかに違う、「正統的なヨーロッパの田舎風景」が続いた。
1時間ちょっとで、バスは町に到着した。
バスターミナルには町の名前を示す標識はなかったが、町に入る直前に「NAZARE」という文字とともに、町の入り口の方向を示す標識をみていた。
前部の指定された席に、きっちり座っていた乗客たちががバスを降りていった。
私もバスを降り、ターミナルを出た。
まずはじめに、荷物を持ち歩かずにすむように、宿を探すことにした。
どうしても、海の見える宿がよかった。ナザレの地図を見ると、海岸まで数百メートル。
自分が進めた歩幅の分、だんだんと近づいてくる砂浜の向こうの大西洋を想像して歩き始めた。
ター ミナルの前では、花や食料品を売るマーケットが開かれていた。賑わいを横目に、私は海を目指して歩を進めた。道の両側にはブランド品のお店やレストランも あり、観光客らしき人たちが大勢いた。賑わいを抜けると、広い通りにでた。しかし依然として、海は見えてこない。地図によるとターミナルから海岸まで、数 百メートルしかないのに、海が見えないどころか、潮の香りもして来ない。
正午を過ぎて、日差しも強くなり、荷物を抱えたままウロつくのに疲れて、私は歩いてくる途中で見た、レジデンスという文字と、ベッドの絵が書かれた標識のある場所に引き返した。
宿の受付には、自分と同じ年頃の女の子がいた。ポルトガル人のルーツは様々なようで、「こんな顔がポルトガル人」というのは難しいけれど、強いて言うなら隣国の、スペインの人たち特有の、目鼻立ちのハッキリした、体系のスラッとした小柄な女の子だった。
「宿を探しているんだけど、今夜の空きはある?」
「何泊する予定?」
「たぶん、1泊か2泊。いくら?」
「30ユーロ」
「うーん。それより安い部屋はない?」
いつも宿泊客から、同じ質問を投げかけられているのだろう。女の子は「残念だけど」という慣れた笑顔を返した。
疲れていたし、とりあえず荷物を置いて他にいい宿が見つかれば、また移ればいいや、と思い、私はチェックインを頼んだ。
「ところで聞いたいんだけど、この地図で言うとこの宿はどこらへんにあたるのかな」
女の子は私の示した『地球の歩き方』に載っている小さな地図を、真剣な表情で確かめた。そして、はっきりとした口調で言った。
「わからないわ」
地図は一応、ポルトガル語表記もされていたので、わからない、という返事もおかしいと思ったが、私は、それについては追求せず、質問の仕方を変えることにした。
「じゃあ、このあたりの名前を教えてくれない?」
「×△■@×△■@」
ぜんぜんわからん。すべき質問を間違えた。
「発音が難しくてわかんないんだけど、それ、通りの名前?」
「ううん、町の名前よ」
「町?ここはナザレだよね?」
「いいえ、町の名前は×△■@×△■@よ」
「!」
発音がいくら難しいとはいえ、「ナザレ」と彼女が発音していないのは明らかだった。
女の子は、また、「残念だけど」という表情を浮かべた。
しかし、目的地を間違える客は、流石にそんなにいないのだろう。さっきの慣れた微笑み方とはちょっと違っていた。
「・・・じゃあさ、ナザレまでどれくらいなの?」
「うーーーーん。」
女の子はまた真剣な表情で、パソコンのキーをたたいて調べてくれた。
「45分ってとこかしら。タクシーで」
『地球の歩き方』によれば、リスボンから2時間。バスを降りたのは、出発から1時間ちょい。ナザレまで、ここから45分。
間違えた。バスを降りるべき町を。完璧に。
「あっちへ行けば、ターミナルに着くわよ」
わざわざ宿の外へでて、方向を教えてくれた彼女に礼を言って、私はさらに日差しの強くなった通りを歩いた。
もっと交通機関が適当な国でも、目的地を間違えるバカをしたことはなかったというのに、ここへ来て、こんなヘマをするとは。。
ていうか、なぜ地図を見ていて気づかないんだ。。アホか。
ターミナルで、係のおばちゃんに「ナザレ行きのバスは何時?」と聞いたが、「ポルトゥゲース?」と聞かれ、わたしは首を振った。
すると、おばちゃんはどこからか、英語の話せる、にいちゃんを連れてきてくれた。
ターミナルで働いているのだろう。制服を来た、ちょっと太めのにいちゃんだった。
「ポルトガル語しゃべれる?」
「しゃべれない」
「OK、英語でしゃべっていいよ」
「1時間くらいまえのナザレ行きのバスに乗ってきたんだけど、降りるとこ間違えちゃったんだよね。なんとかなる?」
すると、にいちゃんはこっちにおいで、というジェスチャーをして、事務所の方へ歩いていった。
後を追いながら私は、きっとここからナザレまでの乗車券を買わされるんだろうなー、でも払うのやだから言われたら交渉しよう、と思っていた。
事務所につくと、「乗車券を見せて」、とジェスチャーで言われたので、券を渡すと、にいちゃんは新しく発券したチケットを、その上にホッチキスでとめた。
またバス停の方へ戻ると、ここでちょっと待ってて、と言った。
「次のバスは何時に来るの?」
まあ、ちょっと待っててよ、というサイン。
この、感覚…。相手はしっかりわかっているけど、こっちに情報が明かされないまま、とりあえず待たされる、もどかしい状況。
これは、アジアでよく出くわす状況だ。
アジア旅行の方が経験的に多い私は、こういう時、悪い結果を想定するようにプログラムされてしまっている。
奴らが「すぐだよ、すぐ」と言って、こちらを待たせるときや、具体的な時間を明かさないときは、決して「すぐ」じゃないのだ。
数分後、にいちゃんが到着したバスの運転手の傍で、私を呼んだ。
なにやら、先ほどの乗車券をしめして、運転手に説明している。
「OK」
にいちゃんは、それだけ言ってバスの方を顎で示すと、その場を去っていった。
バスの表示には、「NAZARE」の文字はない。
運転手に「ナザレ?」と聞くと、彼はうなずいて、乗るように私を促した。
バスが出発し、私は事の顛末を思い返した。
お金は一銭も払わず、にいちゃんにはお礼も言ってなかった。
アジア旅行の経験上、面倒なことが起こるかもな、と身構えたが、まったくの取り越し苦労だった。
わたしは、ポルトガルという国に対して、失礼なことをしたような気分になった。
『地球の歩き方』を開くと、ナザレの前のページに、「カルダス・ダ・ライーニャ」という町が紹介されていた。
「×△■@×△■@」
宿の女の子の難しい、長い発音は、カルダス・ダ・ライーニャのことを言っていたのだ。
最初のページを見ると、「ターミナルの傍の広場では朝市が開かれる」とあり、写真が載っていた。
わたしがターミナルを出たときに見たマーケットは、これのことだったのだろう。
ナザレを目指す途中で、思いがけずに降り立った発音の難しい町。
この町で、私はポルトガルの人たちの、飾らない優しさに触れることができた。
リスボンに退屈した私は、絶対に行こうと決めていたナザレという海辺の町へ向かうべく、高速バスのターミナルへ。
バスには「NAZARE」というオレンジ色の電光表示。リスボンから高速バスで2時間くらいという情報は、例によって『地球の歩き方』により得ていた。
初めて乗るポルトガルのバスは、日本のバスに劣らずキレイ。ベトナムのバスみたいに、前後の座席の間が極端に狭くないし、ウクライナのバスみたいに埃っぽくも無い。実に快適だった。
乗車券には座席番号が記載されていたけれど、バスの前部に8人ほど集中しているだけで、後部座席はガラガラ。
バスが出発すると、私は一番乗りで、広々とした空席に移った。
リスボンを抜けてからは、緑色の畑風景が広がり、遠くのほうに、低い山が時折見えた。
アジアの風景とは明らかに違う、「正統的なヨーロッパの田舎風景」が続いた。
1時間ちょっとで、バスは町に到着した。
バスターミナルには町の名前を示す標識はなかったが、町に入る直前に「NAZARE」という文字とともに、町の入り口の方向を示す標識をみていた。
前部の指定された席に、きっちり座っていた乗客たちががバスを降りていった。
私もバスを降り、ターミナルを出た。
まずはじめに、荷物を持ち歩かずにすむように、宿を探すことにした。
どうしても、海の見える宿がよかった。ナザレの地図を見ると、海岸まで数百メートル。
自分が進めた歩幅の分、だんだんと近づいてくる砂浜の向こうの大西洋を想像して歩き始めた。
ター ミナルの前では、花や食料品を売るマーケットが開かれていた。賑わいを横目に、私は海を目指して歩を進めた。道の両側にはブランド品のお店やレストランも あり、観光客らしき人たちが大勢いた。賑わいを抜けると、広い通りにでた。しかし依然として、海は見えてこない。地図によるとターミナルから海岸まで、数 百メートルしかないのに、海が見えないどころか、潮の香りもして来ない。
正午を過ぎて、日差しも強くなり、荷物を抱えたままウロつくのに疲れて、私は歩いてくる途中で見た、レジデンスという文字と、ベッドの絵が書かれた標識のある場所に引き返した。
宿の受付には、自分と同じ年頃の女の子がいた。ポルトガル人のルーツは様々なようで、「こんな顔がポルトガル人」というのは難しいけれど、強いて言うなら隣国の、スペインの人たち特有の、目鼻立ちのハッキリした、体系のスラッとした小柄な女の子だった。
「宿を探しているんだけど、今夜の空きはある?」
「何泊する予定?」
「たぶん、1泊か2泊。いくら?」
「30ユーロ」
「うーん。それより安い部屋はない?」
いつも宿泊客から、同じ質問を投げかけられているのだろう。女の子は「残念だけど」という慣れた笑顔を返した。
疲れていたし、とりあえず荷物を置いて他にいい宿が見つかれば、また移ればいいや、と思い、私はチェックインを頼んだ。
「ところで聞いたいんだけど、この地図で言うとこの宿はどこらへんにあたるのかな」
女の子は私の示した『地球の歩き方』に載っている小さな地図を、真剣な表情で確かめた。そして、はっきりとした口調で言った。
「わからないわ」
地図は一応、ポルトガル語表記もされていたので、わからない、という返事もおかしいと思ったが、私は、それについては追求せず、質問の仕方を変えることにした。
「じゃあ、このあたりの名前を教えてくれない?」
「×△■@×△■@」
ぜんぜんわからん。すべき質問を間違えた。
「発音が難しくてわかんないんだけど、それ、通りの名前?」
「ううん、町の名前よ」
「町?ここはナザレだよね?」
「いいえ、町の名前は×△■@×△■@よ」
「!」
発音がいくら難しいとはいえ、「ナザレ」と彼女が発音していないのは明らかだった。
女の子は、また、「残念だけど」という表情を浮かべた。
しかし、目的地を間違える客は、流石にそんなにいないのだろう。さっきの慣れた微笑み方とはちょっと違っていた。
「・・・じゃあさ、ナザレまでどれくらいなの?」
「うーーーーん。」
女の子はまた真剣な表情で、パソコンのキーをたたいて調べてくれた。
「45分ってとこかしら。タクシーで」
『地球の歩き方』によれば、リスボンから2時間。バスを降りたのは、出発から1時間ちょい。ナザレまで、ここから45分。
間違えた。バスを降りるべき町を。完璧に。
「あっちへ行けば、ターミナルに着くわよ」
わざわざ宿の外へでて、方向を教えてくれた彼女に礼を言って、私はさらに日差しの強くなった通りを歩いた。
もっと交通機関が適当な国でも、目的地を間違えるバカをしたことはなかったというのに、ここへ来て、こんなヘマをするとは。。
ていうか、なぜ地図を見ていて気づかないんだ。。アホか。
ターミナルで、係のおばちゃんに「ナザレ行きのバスは何時?」と聞いたが、「ポルトゥゲース?」と聞かれ、わたしは首を振った。
すると、おばちゃんはどこからか、英語の話せる、にいちゃんを連れてきてくれた。
ターミナルで働いているのだろう。制服を来た、ちょっと太めのにいちゃんだった。
「ポルトガル語しゃべれる?」
「しゃべれない」
「OK、英語でしゃべっていいよ」
「1時間くらいまえのナザレ行きのバスに乗ってきたんだけど、降りるとこ間違えちゃったんだよね。なんとかなる?」
すると、にいちゃんはこっちにおいで、というジェスチャーをして、事務所の方へ歩いていった。
後を追いながら私は、きっとここからナザレまでの乗車券を買わされるんだろうなー、でも払うのやだから言われたら交渉しよう、と思っていた。
事務所につくと、「乗車券を見せて」、とジェスチャーで言われたので、券を渡すと、にいちゃんは新しく発券したチケットを、その上にホッチキスでとめた。
またバス停の方へ戻ると、ここでちょっと待ってて、と言った。
「次のバスは何時に来るの?」
まあ、ちょっと待っててよ、というサイン。
この、感覚…。相手はしっかりわかっているけど、こっちに情報が明かされないまま、とりあえず待たされる、もどかしい状況。
これは、アジアでよく出くわす状況だ。
アジア旅行の方が経験的に多い私は、こういう時、悪い結果を想定するようにプログラムされてしまっている。
奴らが「すぐだよ、すぐ」と言って、こちらを待たせるときや、具体的な時間を明かさないときは、決して「すぐ」じゃないのだ。
数分後、にいちゃんが到着したバスの運転手の傍で、私を呼んだ。
なにやら、先ほどの乗車券をしめして、運転手に説明している。
「OK」
にいちゃんは、それだけ言ってバスの方を顎で示すと、その場を去っていった。
バスの表示には、「NAZARE」の文字はない。
運転手に「ナザレ?」と聞くと、彼はうなずいて、乗るように私を促した。
バスが出発し、私は事の顛末を思い返した。
お金は一銭も払わず、にいちゃんにはお礼も言ってなかった。
アジア旅行の経験上、面倒なことが起こるかもな、と身構えたが、まったくの取り越し苦労だった。
わたしは、ポルトガルという国に対して、失礼なことをしたような気分になった。
『地球の歩き方』を開くと、ナザレの前のページに、「カルダス・ダ・ライーニャ」という町が紹介されていた。
「×△■@×△■@」
宿の女の子の難しい、長い発音は、カルダス・ダ・ライーニャのことを言っていたのだ。
最初のページを見ると、「ターミナルの傍の広場では朝市が開かれる」とあり、写真が載っていた。
わたしがターミナルを出たときに見たマーケットは、これのことだったのだろう。
ナザレを目指す途中で、思いがけずに降り立った発音の難しい町。
この町で、私はポルトガルの人たちの、飾らない優しさに触れることができた。