私が人生で始めて一人旅を実行した舞台はベトナムだった。
24歳のゴールデンウィークを利用して、ホーチミンへ向かった。

飛行機の中で、滞在先などの記載をするシートを渡され、私はちょっと困ってしまった。というのも、宿泊先は決めていなかったからだ。
しょうがないので、『地球の歩き方』のミニホテルが掲載されているページから、適当なホテル名と住所を書き込んだ。

"○△×Hotel"

もちろん、そこに泊まると決めたわけではなく、入国審査を抜けるために、適当に記入しただけだった。


空港へついて、バス停を探したが、バス停を見つける前に、タクシーの運ちゃんに声をかけられた。
一人旅は初めてだったが、アジア事情はだいたい把握していたので、「いくらでデタム通りまで行く?」と聞いた。すると、「君が決めればいい」と、あっさり言うので、「じゃあ5ドルね、いい?」(今、考えれば相場よりかなり安い、無理な価格だった)と、4回くらい確認した。おっさんは、「OK」を繰り返すばかり。

タクシーが走り始めると、「ベトナムは初めてなの?」とか、「日本から来たの?」とか、こちらの現地の把握レベルを探るような質問が飛んできて、私は「素直に答えたら足元をみられてカモにされるんじゃないか」と警戒しつつ、適当な返事を返していた。
しかし、そのおっさんがあまりにも無邪気な表情でたずねてくるので、次第に私からも質問をするようになった。
名前を聞いて、それを平仮名で書いてみせてあげたりもしてみた。


20分ほどでデタム通り周辺に到着し、私は約束どおり、5ドルを渡した。すると、おっさんは、それまでの表情を一変させて、「足りない!」と、手を差し出してきた。
そう言われた時点で、私は「ああ、やっぱり、そうきたか」と思うと同時に、そのおっさんの変わりようにガッカリした。

「空港で5ドルっていって、OKっていったじゃん。約束の金額は払ったよ」
「足りない!」
「じゃあ、いくらならいいのさ」
「10ドル!」

今は相場を知っているので前述すると、空港からデタム周辺までは8ドルが妥当なところだ。
しかし、おっさんは10ドルだという。
嘘には嘘でかえすしかない。

「あのね、空港のスタッフに相場を聞いたんだよ。私は。あんたは自分の国の人間が信じられないの?」
「足りないものは足りないんだ。10ドル!」

押し問答が15分ほど続いた末に、5ドルを支払って戦いは終結した。
車を出るとき、彼の名前を日本語で書いた紙を見せてみたが、案の定、そんなものに用は無い、とでも言うように、彼は不機嫌そうに首を振った。
予想していたものの、最初のベトナム人との出会いが、こんな結末になることが嫌だった私は、彼がそれを受け取ってくれることを、ほんの少し、まだ期待していたのだ。


気を取り直して、宿泊先を決めるべく、ホテルめぐりを始めた。
見渡すと、『地球の歩き方』で人気の安宿として紹介されていたミニホテルの看板が目に入ったので、受付へ行ってみた。

「部屋はある?」
「今日は満室」

受付のお姉さんは、そっけなく答えた。
やはり予約をしないで来たのは無茶だったのだろうか、と、一瞬弱気になったものの、通りに並ぶホテルの多さを見て、そんなはずはない、と考え直し、再びブラブラと歩き始めた。

すると、ほどなくして、「おねえさん、このホテルいいよ!」と、客引きのオバちゃんが寄ってきた。
「まあ、すぐに決まりそうもないし、見ておくか」と思い、オバちゃんに値段を聞いてみたところ、15ドルだという。
ちょっと高いと思ったものの、とりあえず部屋を見せてもらうことにした。

ホテルの入り口に入ると、すぐにスタッフと思われるベトナム人の兄ちゃんがやってきた。
おばちゃんはいつの間にか姿を消していて、私は、その兄ちゃんに連れられて、螺旋階段を上がっていった。

部屋を見せてもらうと、意外にもキレイで広い部屋だった。おまけに通りに面していて、ごちゃごちゃとホテルが並ぶ風景も中々面白い。しかし、だからこそ気になることもあった。

「セキュリティボックスってないの?」
「大丈夫。ここは安全安全」


適当だなーと思いつつも、私はそのホテルに泊まることにした。
にいちゃんは、「サンキュー」と言って、私に鍵を渡してくれた。

「私はカオリ。君はなんて言う名前なの?」
「ジュン」
「そう。ジュンね、よろしく」

手を差し出して、我々は握手を交わした。

「カオリはいくつ?」

いきなり年齢を聞く意味がわからなかったが、コミュニケーションしてみようと思って、答える代わりに聞いてみた。

「いくつだと思う?」
「うーん。24」

驚いたことに、彼は一発で私の年齢をあてた。
後で知ったことなのだが、ベトナムでは相手が自分より年上か年下かで二人称が変化するので、自己紹介がてら、年齢を聞くのはあたりまえのことなのだそうだ。

「カオリ、ゴハンたべる?」
「あー後でね。疲れたから」
「OK、じゃあ、後で」

彼は私のパスポートを受け取ると、部屋を出て行った。
私はベトナムへ来て初めて、コミュニケーションに手ごたえを感じることが出来た。

ベッドにひっくり返ってすぐ、電話が鳴った。

「ハロー?」
「ゴハン、ゴハン」


「後で」と言ったのに、すぐに電話をかけてきた忙しなさに呆れつつ、それでも空腹ではあったため、下におりていった。
しかし、彼はホテルの入り口に座り込んだままで、出発の気配はない。

「で、ご飯たべにいくの?行かないの?」
「ちょっと待って」

彼が指差した方向には、日本人らしき男の子が電話をかけていた。どうやら、彼を待て、ということらしかった。
暇つぶしに、ホテルの入り口から上を見上げると、そこにホテルの名前が書いてあった。

"○△×Hotel"


私が飛行機の中で適当に記入したホテル名の名前が、そこにあった。

奇妙な偶然が引き合わせた一人のベトナム人と、現地で働く日本人青年。
2008年4月26日、私が始めてホーチミンを訪れたときから、今もなお、トモダチを続けている役者が、そろった瞬間だった。

タン・ソニャット空港についたら、すごい人だかり。ミス・ベトナムに遭遇した。超美人。
外に出て、さてタクシーの運ちゃんと値段交渉で一戦交えるか、と思ったら、後ろから荷物を引っ張られた。
強硬手段かコノヤロー!と思って振り返ったら、わざわざ迎えに来てくれていた友達だった。

一ヶ月ぶり、バイクに乗って、ホテルに向かう途中、サイゴンの喧騒と空気の悪さが、ものすごく懐かしかった。
町並みは変わっていない。いつまでたっても路上工事中。。

今回は観光皆無のぐだぐだ旅行。ホントはフエに住んでいる友達とサイゴンで再会する予定もあったけど、ニアミスで会えず。
昼間は、ふらっとゴハンを食べに行ったり、ホテルの前を通りかかる人としゃべったり、本を読んだり。
深夜に容赦なく電話で起こされ、EURO2008を10人くらいで観戦した。
最初は日本人もいたけど、睡魔にやられて後半戦に入る頃には脱落していき、結果的にベトナム人ばっかり(女の子は一人もいない。サッカー興味ないんだろうか?)の中、観戦することになった。
試合結果を賭けて、昼間はベトナム人のベトナム人によるベトナム人のための賭場が開かれていた。
何が面白いって、彼らの盛り上がりよう。試合終了が近づくと、神棚に祈りはじめたりする。
カリフォルニア出身の長期滞在中の英語教師は、その席にお酒がないことが不服だったらしく、2人で40度のウォッカを買って試合前に飲んで酔っ払っていた。
明らかに少数派。むこうの女の子はお酒もたばこもやらないらしく、飲みの席に加わるのは、ベトナム人の男性か、日本人が多かった。


ベトナム人って、かなり適当。人の話は聞いてないし、自分勝手だったり。でも興味のあることには、ものすごい情熱を持って臨むし、驚くくらい親切だったりもする。
適当であり、精一杯であり、相反する要素を不思議にも混在させたキャラクターで、なんか憎めないのだ。
 2008年9月某日。

上り下りの激しいポカラでのサイクリングツアー。私を案内してくれたのは、ちょっと年上のネパール人男性。
安宿のオーナーが、暇をもてあますであろう事を予測し、どこからか呼び寄せてくれた。カトマンズのガイドのように、サービス精神旺盛というわけではなかったが、都会ズレもしておらず、素朴な感じが信用できそうな人だった。

たった半日のサイクリングツアーだったが、あまりの坂の多さと、日差しの強さに、何度か吐き気さえも覚えた。もちろん、地元育ちの人間にはなんて事のない、軽い運動だったのだろうが、とにかく「きつかった」、の一言につきる。

ぐったりして宿に戻り、受付カウンターのある小さなロビーで一休み。

「ネパールのことをどう思う?」

ガイドの彼が、英語を使って私に質問してきた。どこでも一度は聞かれる質問。

「不思議なもので、日本の人たちよりもネパールの人たちの方が、幸せに見える。日本の方が豊かなのにね」

「ここでの暮らしは楽じゃない」

私が出会う、アジアの多くの人々は、日本に憧れを持っている。お金があって、ピカピカの電家製品が買える。私は、正直、彼らの口から出る日本への憧れの言葉が、時々過剰に思えることがあった。
もちろん、日本は豊かかもしれない。実際、そうであることを否定はできない。
しかし、だからと言って、みんながお金持ちなわけじゃない。
国にはそれぞれ物価というものがあって、彼らにとっては大金でも、日本で暮らすには決して大金ではないということを、理解して貰えず、度々、がっかりすることもあった。

「そうかもしれない。けれど日本は日本でいろんな問題を抱えてる」

「・・・たとえばどんなこと?」

彼は、「日本で言う問題なんて我々にとっては取るに足りないものだ」という否定をするのではなく、私に尋ねてきた。

「そうだなー・・・たとえば、日本では年間、3万人の人が自殺してる」

当然のごとく、返された言葉は、いったい何が理由で彼らは自殺するのか、という問いだ。

「たとえば、不況のせいで職を失ってしまったからとか。東京では、しょっちゅう電車に人が飛び込んでる」

彼は一呼吸置いて、ちょっと考えていた。あまり表情は豊かな人ではなかったけれど、「わからない」、という言葉の上に、彼の感情が現れていた。

「言ったとおり、ここで暮らすのは楽じゃない。職が無いなんて事はめずらしくない。僕だって、ガイドの仕事で一定の収入を得られるわけじゃない。客がきたら、オーナーが僕に声をかけてくれる。言ってしまえば、その日暮らしだ。どうして日本人は、仕事を失ったら死ぬんだ?」

素朴な疑問。 だけど、明確な答えは私にもわからない。
ただ思うのは、人には人の世界があって、考え方があって、死を選ぶ人には、その人にしかわからない苦しみがあるということ。

けれど、一歩日本という社会を出れば、もっと過酷な状況で生きている人もいる。
諦めてしまう前に、もし、そんな人たちと出会っていれば、違う選択を出来たかもしれない、とも思う。



サイクリングの帰り道、デモ集団をやっとのことで潜り抜け、大通りの長い下り坂を、二人で一気に自転車で下りながら、私は彼が私にしたのと同じ質問を、彼にしていた。

「ねぇ、君はネパールの事を、どう思っているの?」

「好きだよ。もちろん」

「政治が不安定でも?」

「そうだね、ネパールではリーダーがしょっちゅう変わってる。選挙もホントによくあるし、さっきみたいなデモもある。けれど、今の僕達には、テストが必要なんだ。不安定な政治が続いても、いろいろ試してみることは、ぜんぜん悪いことじゃない。もうすぐ、新しいネパールが誕生するよ」