2日目。

ぺチェルースカ大修道院へ。この修道院には地下墓地があるということだったので、行ってみる。女性はスカーフで髪を隠さねばなら ず、入り口でスカーフを買う。終日霧という悪天候もあってか、観光客はどこにもいなかった。ミイラがガラスケースの中に収められていて、そのガラスケース に頭をつけて祈る人たちがたくさんいた。特定の宗教に属さない者の目からしてみれば、慣れない空気で恐怖感に似た感情を持った。地上に出たら、ちょうどミ サをやっていたので、見学した。

Ivano-Frankivskでも、タクシーやバスに十字架をかけている光景は日常だったし、日曜日に ミサに行く人たちもいた。その一方で、「僕は神を信じない。信じるとすれば、それは自然の中にある力で、宗教という枠の中での神という概念は持っていな い」という人もいた。日本よりは宗教に関連した行事や、慣習が多いものの、若い世代にはそれほど強い信仰心を感じることはなかった。


町 に戻って、前代のAIESEC in Ukriane Presidentに会う。彼らはAIESECの同僚たちと、会社を立ち上げていて、日産が入っているビルの一室にオフィスを構えていた。オフィスでは、 彼が現役の時の映像や、写真をたくさん見せてくれた。どの国でも、AIESECのOBたちは、本当に楽しそうに、当時の話をする。
ウクライナについての話をした時に、多くの人が言っていたように、彼もこんなことを話していた。

「ウクライナは若い国だから、年代によって人々の考え方や行動にも差がある。けれど、数年発てば、もっと素晴らしい国になるよ。ロシアとEUに挟まれている立地も活かせるはずだしね」


そういう話をする彼らは、いつもとてもいい表情をしている。
けれど、一方で、私は彼らにはキエフを東京のような街にはして欲しくない、とも思った。
首都、キエフについて。

イヴァノ・フランキフスクから夜行列車で12時間。11月の末に、キエフへと向かった。メトロの駅へ向かう途中で、スリ集団の洗礼を受けるなど、あまり良いスタートを切ることはできなかったが、3日間を利用して、わりと多くの場所を回れたので、書いてみることにする。

まず、キエフについて驚いたのは、物価の高さ。駅近くのカフェでは、モーニングセットが17grn(400円ほど)と、もう東京の物価と大して変わらない。一日、10grn未満のFranikでの生活とは大違いだ。
ま た、宿泊施設を確保していなかったため、ガイドブックで調べたホテルに電話をするも、ホテルの人間が英語をまったくしゃべれない。埒があかないということ で、直接ホテルへ向かうことになる。ホテルへついてからも、相手の顔が見えて、紙とペンが使えるという点ではマシだったものの、誰一人として英語がしゃべ れず、チェックインにも時間がかかる。


それでもなんとか、チェックインをすませ、メトロでコントラクトヴァ・プローシチャという 駅へ向かう。ところで、キエフのメトロは東京のメトロとほとんどスピードが変わらない。朝のラッシュ時は毎45秒おきに、電車が来るらしい。切符というも のはなく、プラスチックで出来た青いコインを改札に入れる。距離によって代金が変わるということは無く、たしか日本円にして20円ほどだったと思う。


さて、コントラクトヴァ・プローシチャだが、ここにはチェルノブイリ博物館がある。例に寄って道に迷い、人に尋ねまくるが、「知らない」と答えるものが大半。地元では、あまり有名な場所ではなかったようだ。
博 物館はお世辞にも良いものとはいえなかった。展示物の解説はロシア語のみで、展示されているものも、亡くなった人の顔写真や、当時の記録文書ばかりで、実 際の事故当時の様子を伝えるような工夫がなされていない。「本当に伝える気があるのか、この博物館は?」というのが正直な感想。
それでも、訪問ノートには、多くの日本人の名前が残されていた。


その後、メトロで一駅移動。
ケーブルカーに乗って、ドニエプル川を眺めつつ、山を登り、聖ミハイル教会へ。真向かいはソフィア教会があり、教会前の広場には、1933年の大飢餓で亡くなった人々を弔うための、キャンドルが無数に置かれていた。広島の灯篭流しを思い起こさせる光景だった。
ソフィア教会の塔からは、キエフの町が一望できる。ただし、この塔の階段のぼりはさすがにきつかった。


教会近くのアンドレイ坂には、たくさんのみやげ物やがある。街中は高いので、買い物はそこで済ませ、ペトリーフカのマーケットへ。そこには、紅茶から書籍、CDに至るまで、多くのモノが売られていて、
Yen Simはマレーシアのマーケットと良く似ていると話していた。


一日目はこれで終了。
US研修中の週末、NCのRaleighというところから、Washington DCへ日帰りドライブをした。
同期の友人は、そこで学生時代の友人と会うということだった。私は一人で街をぶらつく予定で、彼女のDC行きに便乗したのだが、当日の道中、彼女の友人も、一人、知り合いを連れてくるということで、私は、その人と、半日DCを観光した。

その彼は韓国からの旅行者だった。お互いが共通言語である英語を流暢に話せなかったこともあり、かえって一方がストレスを感じることも無く、面白い会話ができたように思う。
市内でタクシーに乗ったとき、あきらかに、ぼったくられた金額を請求されたので、私は運転手に抗議しようとしたが、彼に止められた。
なんで正規の料金を尋ねないのか、と質問したが、まあいいじゃないか、というような感じで、さして気にしていない様子だった。

私 が日本人、中国人、韓国人の見分けがつかないというと、それをきっかけに、街中ですれちがうアジア人の国籍あてゲームが始まった。すれ違うときに、話して いる言語で、いずれの出身かがわかる。韓国では、いま流行のブランドがあって、韓国人は皆、そのブランドのロゴの入ったジーンズをはいているからすぐに判 別がつくのだそうだ。

そして、20歳の男の子である彼が興味深そうに私に尋ねたのは、「日本でも男が女の子に奢る」というのが普通の習慣 なのか、ということであった。そこで合点がいったのが、タクシーに乗ったときに、料金を払おうとした私の横から、「いらないから!」といって、ありえん素 早さで運転手にお金を払った時のことだ。
なるほど、と思い、韓国ではそうなのかと尋ねたら、「その判断はとても難しい。僕個人としては、割り勘と いうのが公平で一番良いと思うけれど、そうは思わない人もいる」ということだった。きっと、国籍も異なる初対面の人間とタクシーになんぞ乗って、どうす りゃいいのか判断がつかなかったんだろう。結局のところ、割り勘も断られてしまったわけであるが、質問に関しては、「日本の女の子も考え方は人によるよ」 という返答を返しておいた。あんまり有益な返答とも思えないが、実際にそうなんだから、そういうしかない。


ところで日本人は写真 をよく撮るという話は有名だが、私に言わせれば、日本人以上にカメラ好きの外国人の方が多いように感じる。それも、ふとした瞬間にシャッターを切るのでは なく、有名な建造物の前での「記念撮影」を撮りたがるのだ。「私はここに行ったのだ!」という記録を残したいのだろうか。有名建造物をバックにした記念写 真というモノの価値が、私にはいまいちよく分からない。


Washington DCという街は、非常に住み心地のよさそうな街だった。観光に行くだけとなると、すでに多国籍料理を食べたり、ショッピングをする環境に恵まれた都会人に は、あまり珍しいものもなく、適してはいないかもしれないが、都会過ぎず、かといって田舎でもない。のんびりと長期滞在して、街の人たちとの生活を楽しむ とすれば、良いUS滞在の一コマが作れそうだ。