ディック・セント・ニクラウス / マジック | フランクスオーナーのブログ

ディック・セント・ニクラウス / マジック

今から40年ほど前、僕が夢中になって聴いていた音楽がAOR(Adult Oriented Rock)。

世界中でAORブームが巻き起こるきっかけになったアルバム、
ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」がリリースされたのが1976年。
今年は40周年にあたるという事で、いろんなメーカーからAORのアルバムが再発され、
音楽誌「レコード・コレクターズ」でもAOR特集が組まれています。

それまでのロックにジャズやソウルの要素を取り入れて、都会的に洗練させたAOR、
当初は「シティ・ミュージック」と呼ばれてた時期もあり、
後にAORからフュージョンやブラック・コンテンポラリーと細分化されていきました。

そんな当時のAORブームの中で、
ちょっと変わった売り出し方をされたレコードがありました。
それが今日ご紹介するディック・セント・ニクラウスの「マジック」。

1979年頃、大阪のディスコで頻繁に流れ、
大阪の輸入レコード屋で好調なセールスを見せていた「マジック」という曲。
その情報を掴んだレコードメーカーが、このシングルとアルバムを国内盤で発売する事を決定。

まあ、ここまではよくある話。
その売り出し方の方法が変わっていたのは、
なんとこのレコード、全国一斉発売ではなく、大阪地区限定で発売したんです。

当時、大阪はかつてない程のサーフィン・ブームが巻き起こっており、
街にはサーファー・ファッションを身に纏い、小麦色に日焼けした若者が溢れてました。
サーフィンをやらない若者も肌を焼き、それっぽい格好をし、
そういった連中を称して、陸(おか)サーファーという呼称があった程です。

大阪ミナミのアメリカ村にはそんな若者をターゲットにしたショップが次々にオープンし、
三角公園には若者が溢れかえっていました。

彼らが好んで聴いていたのが、イーグルス、ドゥービー・ブラザース、リトル・フィート、
ボズ・スキャッグス、TOTOなどウエスト・コースト系のアーティスト達の音楽。

大阪では東京とはまた違った文化が芽生えていたんですね。
余談ですが、山下達郎氏の「BOMBER」も当初は大阪のディスコから火が着きました。

大阪の若者達にまず照準を合わせる形で、このアルバムは大阪限定で発売されました。
(91年「とどかぬ想い」が日本のTVドラマ主題歌となったビル・フューズのアルバムも同時発売)

この作戦は見事当たり、
大阪で大ヒットを記録し、2ヶ月後には全国発売されます。

今思えば、大阪限定発売というのも話題作りのための作略だったというのは見え見えですけどね。

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このアルバムがリリースされた1980年当時、僕は大阪に住んでいて、
発売日にレコード屋に行ってこのアルバムを購入した記憶があります。
下の写真はその時のレコード。

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ディック・セント・ニクラウスはその後プロモーションやライブなどで来日。
次のアルバムも日本でのみ発売されました。

本国アメリカでは全く売れなかったこのアルバムですが、
今聴き直してみると、なかなかソウルフルで良い曲が揃っています。







今後も本国アメリカでは語られることのない作品でしょうが、
こんなAORの名盤を独自で発掘した日本人の感性を誇っても良いと思います。



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