1153.鶏はどうなん?の巻 | フランス絵巻き

フランス絵巻き

南仏コートダジュール・画家よんじょう


知り合いの仏マダムは、15年前から鶏を(何羽も)飼っている。そのうちの1羽が老衰で、歩くのもヨタヨタになって、瀕死状態になった。それで、本人(=鶏)のためにも、やむを得ず処分(殺した)ラシイ。
これ、”安楽死”の死生観に基づく西洋式ネ、と理解したのも束の間、次のフレーズにギョっとなった。
「その肉(鶏肉)は食用として、冷凍庫に保存中」。

自然死だと、食用不可の肉になってしまうんで、生きてるうちに処分したそうな。
ま、「命が無駄になってない」という点では、鶏にとっても人間にとっても一石二鳥(シャレかい)だから、その正否を問うものでは無いザンスが、ただ単純に、『15年も飼ってた鶏を、食べる事ができる感覚』にギョっとしますやん。さすが肉食文化?

仏国の店頭では、鶏は、頭と足付きで売られてるし、ウサギも、ズルリんと皮を剥いだヤツがぶら下がってますから、そこらへんは極めてクールなんカナぁ。

鶏を飼った事がない私は、鶏に情が移るかどうかワカランけど、15年も一緒にいたら、名前とか絶対つけてると思うわ。名前をつけた鶏を食べる事はできんなぁ。鶏の成仏になると頭ではわかっていても、口と胃が受け付そーにないわ。
あ、これ、アニマル可哀想の感傷論じゃないヨ。
今宵も、赤いウシに舌鼓を打ったとこダシィ。

鶏エピソオドを、魚食文化の日本人に置き換えると、15年飼ってた鯉を食べるよーなもんですかね?(チョト違うか)。あるいは、15年飼ってたスッポンを、スッポン鍋にするようなもん?(チョト違うか)

鶏やウサギを平気でサバく仏人でも、生きてるカニやエビが、煮えたぎる湯の中につけられるのを見ると、可哀想!と顏を覆う人がいるんで、食文化の差は理屈じゃないンヨネ。
活魚の”踊り食い”なんかは、仏人にとっては、野蛮人!に映るだろーしネ、鶏の首は絞めてるクセに。
口中で暴れるシラウオを、自分の歯で噛み殺して嚥下するとか、水槽でさっきまで泳いでた魚がサシミになってピクピク動いてるとか、吸盤が口蓋にくっついてくるほど新鮮な生イカを呑みこんだりするのは、世界的にハイレベルだもんね。私は大好物だけど。

※本日のイラストは一部再利用デス