1088.あれから何年?の巻 | フランス絵巻き

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南仏コートダジュール・画家よんじょう

父上の命日だったのよん。
甥が小学生で、姪が中学生だったことや、死んだ日の事は鮮明に覚えてるんですけど、月日が経つのは早ヨおます。

ソノ日。帰国翌々日、病室に直行。
ベッドの上で管をつけたオトーサンの目は、もう何も見えてなかったんですけど、口はきけるし、耳は普通に聞こえてたんで、私は横で、故意に、鼻歌をずーっと口ずさんでいたんですよ。
娘の顔が見えんのなら、せめて声だけは聴いててほしいもんね。個室でヨカッタが・・。
ソノ日。
『今晩から私が付き添います。』と、看護婦さんに電気ストーブを借りて、張り切ったのも束の間、数時間後に死んだ。と、以前もブログに書いたんで、『また同じこと書いてる!』と思ったアナタは愛読者?
ソノ日。
姉も婿さんも孫(=姪甥)も号泣したけど、私は、バカ娘(YJ)をギリギリまで待っていてくれた男親の想いに満たされた。万感の総集編だった。
遺体の横顔と、胸の上で組まれた手を見て、鼻の形が端正なことと、爪の形は私とウリフタツなことを、死んでから知った。

子は親の影響を受けますけど、父親か母親のどっちかに、より大きく支配されてますよね。親の価値観に反発する時代があったとしても。
姪や甥は『どっちにも影響されてない。』とキッパリ言いますけど、まぁ、あの親(=わたしの姉)ならそうやわナって納得もしつつ、意識の外ではヤハリ影響されておるし、甥はオジイサン(=わたしの父)の影響が嗜好行動の9割を占めておる。

アル男性作家(脚本家)は、50代半ばで父親を亡くした後、編集長に『書くものがガラっと変わりましたね。』と指摘されたそうよ。それは褒め言葉でもあったようですけど、ご本人にはそういう意識はなくて、いままでとまったく同じものを書いたつもりが、見る人が見れば大差があるんですな。
50才半ばにして、呪縛(気持ちの束縛)がとけたんでしょうけど、親が生きてるうちは、意識してなくても、暗黙のタブー枠みたいなんがありますもんね。

結婚相手なんかも、親が喜ぶ相手ってのは、親以上に(子は)分かってて、その期待を裏切らない人物を選んでたりしますしね。といいつつ、実際に連れてくるのは正反対のタイプだったりもするが・・。
熊とカメラの絵は再利用。薔薇だけを描いた。