・`ω・) カトリックの僕が「願い事」を避けたがる理由 | ・`ω・) 役に立たない!カトリックまめ知識 & 雑学のblog

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カトリック信徒以外の方々が、カトリックに対する素朴な疑問を解消することを目的として雑学やマメ知識を公開しています。たまにカトリックに無関係なことも書きます。

前回の記事で、
「願い事」との言葉が出ましたので、
今日はそのことについて補足しますけども、
願い事を話題にするのは個人的に、
あまり好きではなくてね。

なんでそうなのかと言うと、
理由はいろいろとあるのですが、

一つ目には、
願い事を宗教の目的にしすぎると、
課題発見力や解決力や、

問題点を整理する能力が

鈍る原因になり得るから。

病気を治したければ病院で治療を受けるべき。
難関大学に合格したければ相応の学力を身につけるべき。
お金が欲しければ稼ぐべき。
良縁に恵まれたければ、まずは自分が
良縁に似つかわしい人物になるべき。

で、それらがどうやら叶いそうにないとなれば、
目標の見直しと修正をすべき。

病気があっても、
学歴がなくても、
お金がなくても、
伴侶がいなくても、
幸せに生きてる人なんて、
世の中にはいっぱいいるんですから。

それらのことをしつくしたうえで、
最後にできることとしての願い事なら、
僕は悪いとは言いません。

でも、何でもかんでもすぐ、
願い事する奴ってなんか、

頭のネジ足りない奴に思えません?

無宗教で宗教嫌いの人には、このように、

課題に向き合わずに願い事で

解決しようとする人が愚かに思えてきて、
宗教嫌いになった人もいるのではないでしょうか。

それに、カルトでも同じことをしてるんですよね。

「私は不幸な人生を歩んでいました、
しかし◯◯教に出会ってから…
病気が治りました!
大学に合格しました!
お金持ちになれました!
良縁に恵まれました!」
…みたいな怪しい宗教。

カトリックでも、
病気が治った類の話はありますが、
あんまりそれを前面に出すと、第三者から、
カトリックとカルトが同一視されそうで
嫌なんですよね。

二つ目に、
僕が願い事をあまり好まない理由は、
願い事には、その当事者しか
幸せになれないものが多いから。

無病息災とか、合格祈願とか、
商売繁盛とか、恋愛成就とか、
願いたくなる気持ちはわかるんですよ?
わかるんですが、僕の耳には、
自分さえ良ければいいと言っているのと
同じに聞こえるんですよね。

かく言う僕も実はね、
病気した時とか精神が弱っているとき、
ついお守りを握りしめたり、
願い事してしまう時はありますけどね。

でもカトリックの本質は
そこじゃないと思うんですよね。

 

カトリックという言葉が持つ意味は、普遍。

だから、自分だけが救われるのではなく、

みんなで救われる視点で考えないとね。

以上の理由から願い事は、
カトリックを含めた諸宗教の側面ではあるものの、
前面に出すべきものではないと思う、
フランシスコでしたとさ。

めでたし、めでたし。