こんにちは

 

今回は、容姿に異常な執着をし続けた昔の私が、どれだけ外見を磨いても自分を好きになれなかった理由と、そこから得た気付きについてお話ししようと思います。

 

 

実は私は子供時代、とても太っていました。

 

私は3800グラムという、文字通り玉のような真ん丸赤ちゃんとして分娩室に登場しました。

 

赤ちゃんの頃は大体誰でもコロコロしていて腕はボンレスハムのようですが、成長に伴い丸みは減っていくものです。

 

 

私はすくすくと肥満児への道を歩み続けました。

 

これは決して自虐などではなく、小学生の頃には太り過ぎとの事で病院へ検査に行くようにと学校から言われる始末でした。

 

ちなみに身長も高い方で、小学校入学時には126センチ有りました。

※平均より10センチ以上高いです。

 

大きい大きいと言われる事が非常に嫌で、そのうち人目を強く意識するようになりました。

 

当時の私は食行動についていくつかの問題を抱えていました。

 

両親が精神科や心療内科に対して偏見を持っていた為に受診に至る事は有りませんでしたが、行動だけで見ると会食恐怖症と過食傾向が有りました。

※会食恐怖症というのは簡単に言うと「他人と、もしくは人前で食事をする事に強いストレスを感じ、普通に食事をする事が出来なくなる事」を指します。

 

私の場合は人と一緒だと食べ物を咀嚼する事が困難になる為、給食をほとんど食べる事が出来ませんでした。

 

低学年の頃は確か大丈夫だったのですが、小学3年生あたりから現れ始めました。

 

いつも給食をどうやり過ごすかがストレスでした。

 

通知表には「給食を残さず食べましょう」と書かれていました。

 

当時はスクールカウンセラーという存在は居らず、児童の心のケアは保健室が担っていたような時代でした。

 

先生に言ってみても「気にし過ぎ」と一蹴され、誰からも答えを得る事が出来ませんでした。

 

朝起きられない子だったので朝食は食べられず、最初の食事は帰宅後でした。

 

時間にすると15時以降でしょうか。

 

委員会活動などが始まると帰宅が16時半頃になっていたので、それまで何も食べない状態が続きました。

 

帰宅しても基本的に自宅には誰も居ませんでした。

 

空腹だったので家に有る物を食べ続けていました。

 

お菓子、パン、マーガリンに砂糖をまぶす、ココアの粉、そういったものが無くなるとクーピー(文房具)を食べた事も有りました。

 

クーピーのエピソードは「それは完全に精神科案件では・・・?」と引かれるのですが、当時の自分は子供でしたから自分の行動の異常性に気付いていませんでした。

 

そして周りの誰も気付いていませんでした。

 

毎日高カロリー、高脂質、高糖質の物を大量に摂取していたので、体重はどんどん増えていきました。

 

人の目を気にする子供だったので、他人が笑っていると自分が太っている事を笑っているのではないかと恐怖を感じていました。

 

中学生の頃に一念発起しダイエットを開始。

 

10キロ以上の減量をしました。

 

17歳~19歳は特にダイエット熱が高く、めちゃくちゃなダイエットもしました。

 

最高でピーク時から18キロ減量した事も有りました。

 

痩せたら着られる服も増え、オシャレが楽しくなりました。

 

外見への執着は強まり、もっと綺麗になりたい、理想に近づきたいと思い続けていました。

 

吹き出物一つ有っても許せず、7センチ以上のヒールを履いていないと恥ずかしくて外に出られませんでした。

 

しかし、いくら服を買っても靴を買っても、痩せても褒められても外見への異常な執着は治まりませんでした。

 

自分を本当に愛せるようになり、認められるようになってやっと、異常な執着は消えていきました。

 

何度か書いていますが、私の両親はとある新興宗教の信者なので、私がその信仰を受け継ぐ事だけを期待して育てました。

 

また、私に対しては、全方面で優秀であれ、人に悪感情を抱いてはいけない、清く正しく美しくあれ、という理想を抱いており、私はありのまま愛して貰えたと感じる事は出来ませんでした。

 

いわゆる条件付きの愛だったと感じていました。

 

そして私は、両親のみならず世界中の誰にも愛されていないと感じていました。

 

だから優しくいなければ好かれない

 

いつも笑顔でいなければいけない

 

本音を言ったら相手の気分を害して嫌われてしまう

 

良い子でいないと愛されない

 

と考え、誰と接するにも自分を偽っていました。

 

そんな昔の自分を振り返って思うのは、

 

条件付きでしか自分を愛そうとしなかったのは他でもない自分自身だった

 

という事です。

 

痩せなければ

 

髪が綺麗じゃなければ

 

肌が白くなければ

 

綺麗にならなければ

 

理想の素晴らしい私にならなければ愛してやらないよ、認めてやらないよ

 

そんな風に自分を否定していたんです。

 

理想の自分を追い求めてめちゃくちゃなダイエットをして色々なお化粧品を試して、毎月ヘアサロンに行って、どれだけの服を買っても、理想の自分なんてものはこの世のどこにも居ませんでした。

 

それはそうなんです。

 

今の自分を否定する事が前提の在り方なので、次々と粗が目につくんです。

 

キリが無いので今の自分に満足する日なんて来る筈が有りませんでした。

 

今の私が外見への異常な執着を手放せたのは、理想の自分になったからではありません。

 

今でも自分の容姿については理想ではない部分は沢山有ります。

 

自分の内面にOKを出せるようになればなる程に、外見にもOKを出せるようになりました。

 

昔の私のダイエットは、現在の自分への否定が先に有りましたが、

 

今は人生を最高に楽しんで生き抜くためのメンテナンスだと思うようになりました。

 

親が条件付きの愛情しかくれないように感じたとしても、自分で自分をいじめる事は無い。

 

自分が自分に対して毒親になる事は無い。

 

そう思えるようになってから、自分をどう扱うのかが大きく変わりました。

 

あなたは、自分に何らかの条件を突き付けて

 

「こうなれば認めてあげるよ?」と言ってしまってはいませんか?

 

無条件で認めてくれなかった人、ありのままを愛してくれなかった人と同じ事を自分にしてはいませんか?

 

もし、そうだなと感じた方は、気付いたところからきっと何かが変わっていきます。

 

 

 

 

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